第28章 あたら夜《壱》
いつもそうだ。
いつも、自分が欲しいと思う以上の想いを彼女は向けてくれる。
予想にない言葉で、行動で、表情で、己の心をこうも容易く満たしてくれるのだ。
「金など要らない。それは蛍のものだ」
余すことなく全てを捧げていい。
蛍が求めてくれるのならば。
「俺の全てを、蛍のものにしてくれ」
挙動不審に慌てていた蛍の動きが止まる。
頬に添えられた顔が自然と俯き、見上げる杏寿郎と視線が絡んだ。
「…いいの?」
きゅ、と細い指が簪を握り締める。
問いかけたのは簪のことだけではない。
俯き影のかかる薄暗い空気の中で、緋色の瞳だけが鮮やかに浮かぶ。
「それがいい」
いつかに蛍が返してくれたように。
他の誰でもない、君だから望むのだと告げる。
親指の腹で、すり、と頬を撫でる。
頬紅が擦れた跡の残る柔い肌が、ぴくりと震えた。
頬を撫で、首筋へと這わせ、頸の後ろ掻き抱く。
柔らかな膝に頭を包まれたまま添えた手で導けば、自然と蛍の顔が落ちてゆく。
はらりと、絹のように柔らかな髪が杏寿郎の顔に降る。
肌を撫でるそれは霧雨のように優しく、心地良さに自然と顔が綻んだ。
その優しい雨の元である、愛おしいひとの顔を見上げて。迎え入れるように瞳を閉じれば、唇に一際柔く優しいものが降り落ちた。
音もなく、静かに触れ合う唇。
心を繋いで結ぶように。
一呼吸置いて蛍がそっと顔を上げれば、どちらからともなく再び視線が絡んだ。
絡んで、瞬いて、ふくりと笑う。
じんわりと頬を染めて照れの残る笑みを浮かべた蛍は、手持ち無沙汰に髪を耳へと掻き上げた。
「え。っと…なんだか…」
「ん?」
「…ん、と」
己の全てを捧げるなど。人生の告白を受けたようで、なんだか気恥ずかしい。
それ以上の幸福にも胸は深く満ちているものだから、綻ぶ口元は止められなかった。
促すように問いかける杏寿郎の低く甘い相槌さえも、胸に響くようだ。