第28章 あたら夜《壱》
簪を抜き取れば、はらりと蛍の髪が舞う。
柔い髪房が顔周りを舞えば、途端に蛍の纏う空気も違って見えた。
見慣れないその姿に一瞬息を呑んだが、すぐに視線を手元へと向ける。
使いこなされている簪は不思議と手に馴染む。
それでいて手入れされているのか、見た目には傷もない綺麗な簪だ。
「髪が…」
「そこで待ってろォ」
「え。不死川? 何して…」
「待ってろつっただろォが。こっち来んじゃねェ」
「いや何して」
「待てねェなら本当にへし折るぞ、ア?」
「ひえ」
ばきりと指を鳴らして血管を浮かせれば、忽ちに顔を青くした蛍が大人しくその場に正座する。
溜息をついて背を向けると、実弥はその血管の浮いた手で紐の水分を搾り取った。
細く小さな髪紐なら乾きも早い。
蛍に背を向けるようにしてその場に胡坐を掻くと、手の中の備品を器用に組み合わせ始める。
「な…何してるの?」
「見んな」
「ええ…凄く気になるんだけど…」
「大人しく待てもできねェのかお前は」
「時々犬扱いするのやめてくれませんか」
背後でそわそわと気配が揺れ動いている。
その声色からも本気で不安を滲ませているのが伝わって、実弥は手元に視線を落としたまま二度目の溜息をついた。
「そんなに大事かァ、これが」
「うん」
「…即答かよ」
「だって初めて貰ったものだもん」
簪など大正のこの世では身近に使用されるものだ。
所持品として持ったことがなかったのかと、物珍しさに振り返りそうになった。
「鬼になって初めて貰ったもの」
寸でで動きを止めたのは、その答えが予想と大きく違っていたことと、余りに蛍の声が柔いものだったからだ。
「着物とか袴とか、生活する上で必ず必要じゃないものだけど。…だから嬉しかったのかも。初めて、私だけのものを貰えた気がして」
義勇にとっては蛍が失くしたリボンの代わりだったのだろう。
それでも当然のように差し出されたシンプルで小さな簪は、蛍の胸に形にはない大きなものを刻み付けた。