第28章 あたら夜《壱》
ひと撫で。ふた撫で。
軽く触れる程度にふわふわと撫でられ、時折指で梳かれ流される。
その手櫛が心地良くて、杏寿郎は微睡む世界を見上げた。
伏せがちに瞳を飾る睫毛。
鼻を掠める仄かに甘い香り。
時折唇からは「よしよし」とあやすような相槌が漏れる。
相変わらずその顔には崩れた化粧跡が残っているというのに、目が釘付けになるのはそこではない。
先程までくるくると変わる表情に愛いものだと和んでいたというのに、今は見えない何かで包まれているような心地になる。
あたたかく、おだやかで、痛みなど何も伴わない世界。
不安も心配も何もない。
ただ自分の全てを受けれてくれる、果てしない安心感。
無性にただただ愛で回したくなる衝動も、幼子のように己の全てを預けてしまいたくなる心地も、蛍だからこそ生まれる感情だ。
(本当に…適わない、な)
眠るつもりはなかった。
起床時間まで蛍の膝枕を堪能しようと思っていたのに。
うとりと杏寿郎の瞼が重く閉じていく。
握っていた蛍の髪からするりと指が離れ、力なく布団に落ちた──
カランッ
予想にもしなかった音が畳で跳ねた。
落ちかけた瞼を反射的に開いた杏寿郎の目が、即座にそれを捉える。
「あ」
惚けたような小さな声で、蛍が拾い上げたのは簪だ。
杏寿郎の手に握られていたものだったが、力が抜けて手放してしまったらしい。
「すまん」
「いいよ」
「…それは、」
「ん?」
拾い上げる蛍の手の先を目で追う。
いつも彼女のまとめられた頭を飾っている簪だ、杏寿郎も見慣れていた。
しかしいつもと何かが違う。
違和感のようなものにじっと観察していれば、ゆら、と宙で揺らぐ宝石の欠片を見た。
「その飾り紐は…」
「あ。気付いた?」
ゆらゆらと揺らぐ宝石は、飾り紐によって玉簪と繋がれていた。
宝石は天元が外れないようにと、玉簪に添えるようにしかと結び付けられていなかっただろうか。
宝石に揺らぐ余韻を残しているのは、玉簪に結び付けられた飾り紐だ。
杏寿郎の記憶によれば、前までそんなものはなかったはず。