第28章 あたら夜《壱》
いつもより口角が深く上がる。
いつもより目尻の睫毛が尚跳ねる。
いつもより満面の笑みを浮かべている杏寿郎から向けられるものは、どうにも目に見えて伝わってくる好意ばかりだ。
「そ、そんな笑顔で見ないでよ…今酷い顔してるんだから」
「それとわかっていて会いに来てくれたのだろう?」
「会いに来たっていうか、偶々この部屋に入ってしまったというか…」
「誤って踏み込んだのなら出ていけばいい。しかし俺の隣に添い寝してくれたのは、それとは違う思いがあったからだと見受けたが」
「…ぅ」
相変わらず正論で覆す隙間もないが、声色は酷く優しい。
というよりも寝起きのあの甘い余韻が残るような柔い声だ。
そんな声で心底嬉しそうに告げられれば、否定する気にもなれない。
「っ…会いたいけど…だからこんな顔で会いたくないの」
それでも誤って踏み込んだのは事実だ。
頬を染めたまま、蛍は恨めしそうにむすりとそんな笑顔を見返した。
「わかってよ」
紅のずれた唇を尖らせ、アイシャドウでぼやけたパンダ目で睨む。
そんな蛍の顔をまじまじと真正面からようやく拝むことができた、杏寿郎は。
「っ愛いなあ」
「なんで」
途端にふにゃりと破顔した。
凛々しい眉尻が下がり、ほわほわと周りを漂う空気は日なたの花畑。
思わず真顔で蛍が突っ込めば「すまん」と形だけの謝罪をした唇が近付く。
ちぅ、と二度目のリップ音は、互いの唇の間で零れた。
ぱちりと蛍の目が瞬く。
一呼吸置いて離れた杏寿郎の顔が、そんな蛍の瞬きにさえ熱を含んだ視線を向ける。
「蛍にとっては恥ずかしいものかもしれないが、俺にとってはその全部が愛らしくて堪らないんだ。諦めてくれ」
欲情した雄の目に宿す熱ではない。
陽だまりの中で生まれるような、柔くもあたたかい光。
「それも…ずるい」
「そうか?…いや、そうだな」
「? 何それ」
「なんでもない。蛍はそのままでいてくれ」
「あ。凄く気になるそれ」
「俺はありのままの蛍が好きだ」
「あ誤魔化した」
「そんなことはない。本音だぞ」
「それで流されるともでも…って待って近い」
「ん?」
「近い近い」