第28章 あたら夜《壱》
身構えていなかった為に呆気なく腕を取られて引き寄せられたが、決して強い力ではない。
寧ろいつもの杏寿郎よりも覚束なく力の無い動きだ。
(思いっきり寝起きなんだろうな…)
杏寿郎にとっては本来まだ寝ている時間帯。体も頭も醒めきっていないのだろう。
欠伸を残す口元に翳していた掌を退くと、その手も背に回されたものだから完全に逃げ場を失ってしまった。
「おはよう、ほたる」
とろんと甘さを残す、舌足らずにも聞こえる声。
頭の旋毛に触れる何か。見えなくても位置と感覚で、杏寿郎の唇が触れているのだとわかった。
「ほたるの夢をみていたら、目の前にもきみがいた」
離れる体温に、恐る恐ると目線だけ上げる。
もさりと寝癖の残る髪。その下でふにゃりと無防備に笑う杏寿郎の顔が見えて、途端に力が抜けてしまった。
どうにかして早々退散しようと思っていたのに、心まで捕まえられて逃げられなくなってしまう。
「しあわせな朝だなぁ」
「っん」
更にもふりと抱きしめられる。
力は柔いが、幼さが残るような仕草は寝起きだからだろうか。
──否。
(私だから…とか、思ってもいい、かな)
自分にだから見せてくれる姿なのだ。
ふわふわと、それこそ寝起きに布団に包まれるようなあたたかな感情。
そこに浸っていたくて、蛍は応えるように身を寄せた。
「…どんな夢を、見ていたの?」
「ん…君がいる夢だ」
呂律は多少はっきりしたものの、柔さの残る声で杏寿郎は思い出を語るように告げた。
「我が家にかえって…せんじゅろうが、出迎えてくれて…隣には、ほたるがいる。その日のことを、話ながら…ちちうえにも、報告して…夕餉を食べ…風呂に入り…」
「…寝る?」
「うむ。ともに、こうして」
(…普通だ)
どんな夢かと期待してみれば、煉獄家の戸を初めて跨いだ時とほとんど変わらない。
駒澤村の人が聞けば、変わり映えのない一日のようにも思えるだろう。
「…いい夢だね」
しかしそれがどんなに幸せなことか。
身に染みて共に知っていた。