第28章 あたら夜《壱》
とは言ったものの。
『神幸祭だと…くだらん。まだそんなことを言っているのか』
静かながらも、酒焼けした低い呻るような声には体が緊張で強張る。
襖一枚隔てているというのに、鋭い双眸に睨まれたかのようだ。
それではいけないと、蛍はぐっと拳を握った。
「槇寿郎さんにはくだらなくても、私には意味のあるお祭りなんです。人生で初めて見るお祭りですから」
『……』
「お願いです。どうか顔を合わせてお話をさせて下さい」
『……』
部屋の前でどんなに頼み込んでも、返ってくるのは重い沈黙ばかり。
逸る気持ちを抑えつつ、こんな時杏寿郎はどうしていただろうかと考えた。
(確か勢いに任せて──)
槇寿郎が止める暇もなく襖を開け放っていた時もある。
闊達な笑顔で、それはそれはもう爽やかに。
(…駄目だ。多分、私が同じことしたら頸斬られるかも)
結果は定かではないが、槇寿郎が良い顔をしていなかったのはよく憶えている。
青い顔で頸を横に振りながら、蛍はふと"それ"を思い出した。
昼食後はすぐに八重美が訪れていた。
その相手をしていた為、まだ一度もこの部屋に訪れてはいない。
「ではお昼の膳を下げさせて下さい」
『それなら自分で』
「この足で台所に戻りますので、このまま運んだ方が早いです。お邪魔しますね」
『ッおい!』
結局は杏寿郎のような強行突破になってしまったが、理由があるだけまだいい。
ひと呼吸置いて襖を開けた先には、止めようとしていたのか。片手を伸ばす姿で止まる槇寿郎が部屋の中心に立っていた。
「勝手に部屋に…!」
入って来るな。と言いたかったのだろう。
しかし槇寿郎の罵声は、襖を開けた先に立つ女性を見て止まった。
知っているようで知らない女が立っている。
何処かで見たことがあるような面持ちの、しかしやはり知らない女。
「失礼します」
一礼して部屋へと踏み入る。
その声を耳にして、女が彩千代蛍であったことを悟った。
否。わかってはいたが、一瞬思考が辿り着かなかったのだ。