第28章 あたら夜《壱》
──────────
「本当に行くんですか…?」
「勿論」
「兄上が起きるのを待った方が…」
「ううん。杏寿郎の力は借りたくない」
「なんでですか?」
「私のことを認めてもらうなら、私一人で向き合わないと」
槇寿郎の部屋の襖が見える、廊下の曲がり角。その角の壁からこっそりと覗き見る二つの顔。
まるで父に会いに行くような態度ではないが、後方から二人の背中を見守る八重美もまた煉獄家の事情は察していた。
「それに杏寿郎がいると、声が煩いって槇寿郎さんに追い返されるかもしれないし」
「……」
確かに。という言葉は呑み込んで、千寿郎は仕方無しにおずおずと身を退いた。
「千くんは八重美さんをおもてなししてて。槇寿郎さんのことだから気配で察知されるかもしれない。下手したら逃げられちゃう」
「でも姉上一人を向かわせるなんて」
「大丈夫。もう陽に焼かれることなんてないだろうし」
「そんなこと絶対にあったら駄目です」
蛍の顔が、体が、全身が焼き焦げる姿をこの目で見た。
肉の焦げ付く臭いも、焼かれ枯れた蛍の声も、千寿郎の五感にまだ鮮明に記憶されている。
二度とあんなことはあってはいけないと声に力みが増した。
「うん。絶対にそんなことにはならないようにする。だから大丈夫」
その頭に、ふわりと優しく触れる蛍の手。
見つめる表情には優しい笑みが浮かんでいる。
兄である杏寿郎とは違う。
逞しくも分厚くも大きくもない、その掌。
不安など微塵も感じさせない、闊達で強い笑顔でもない。
なのにその手に愛でるように撫でられるだけで、優しい眼差しを向けられるだけで、胸は高鳴りながらもほっとするのだ。
「八重美さん、千くんのお茶請け頂いていて下さい。今日作ってくれたごま団子、凄く美味しいんですよ」
「姉上も一緒に作ってくれた、ごま団子ですね」
「あの…お化粧のいろは、まだまだお伝えしたいことがありますので。待ってます、ね」
とん、と廊下に踏み出す。
振り返れば、心配そうな二人の面持ち。
そこに蛍は鬼特有の犬歯を見せると、にっと砕けるように笑った。
「それは楽しみです」