第28章 あたら夜《壱》
「母は、伊武家に外から嫁いだ者なんです。普通は分家から迎えることが多いのですが、母は自らあの家に嫁ぎたいと申し出まして。住まう家もなく、独り身で」
「そうなの?」
「だから最初は家の仕来りなど、知らないことばかりで大変だったそうです」
「あんなに作法に厳しい静子さんが…」
「努力家だったってことですね」
ぽつりと呟いた千寿郎の言葉には、思わず頷いてしまう。
何処からどう見ても立派な良家の夫人だった。
静子にそんな過去があったとは。
「なので私も米一粒だって大切に食べなさいと言われて育ったんです」
「成程…あ。だから私に言ったのかな。思い出す、って」
「そういえば…」
「母が?」
「はい」
昼間の神幸祭を楽しんだ帰り道。煉獄家の戸の前まで足を運んだ静子が、去り際に残した言葉だった。
『貴女を見ていると、思い出してしまうのですよ』
苦くも、懐かしむように。
「そうですね…母も、父を慕って嫁いだ者ですから」
「静子さんが、恋愛結婚…」
「意外ですか?」
「え、いえっ…ちょっとだけ、驚きました」
言われてみれば、確かに似通るところはあるかもしれない。
煉獄家の仕来りを教えて欲しいと、槇寿郎に頭を下げた日のことを蛍はふと思い出した。
「そっか…」
懐にしまった小瓶を、上からそっと包むように掌で触れる。
「じゃあ私も、静子さんみたいな立派な奥さんになれるかな?」
自分に厳しく。娘への大きな愛を持ち。鬼をも受け入れてくれる懐を持つ女性に。
「姉上が…?…それはちょっと」
「やめた方が…」
「ええ全否定?」
やんわりと笑いかける蛍に、返されたのは真面目な顔で頸を振る千寿郎と八重美だった。
「私も母を尊敬していますが、蛍さんは今のままで十分素敵ですよ」
「え…八重美さ…」
「僕も今の姉上が好きです」
「千くん…っ」
「それに姉上にあんな畏まった姿は…ちょっと」
「似合わないかもしれませんね」
「待って今きゅんとした私の気持ちを返して」