第28章 あたら夜《壱》
「〝遊女は金魚〟って言葉があるの。誰が言い出したのかわからないけど…私が柚霧でいた時には、合言葉みたいにあった言葉だった。限られた狭い世界で生きる為に、見る者の目を惹くように舞い泳ぎ続ける。その様が遊女と同じだって」
「……」
「あの子は、柚霧の映し鏡みたいなもの。柚霧は私が夜の間だけ生きた人の姿。だから、夜」
つ、と棒きれの先で文字を差す。
杏寿郎にも、以前に言われたことがある。
自分に陽だまりの匂いがするならば、蛍は例えるなら夜の匂いを纏っていると。
柚霧として生きる日々は、真昼なら日陰で。そのほとんどは闇夜に混じる日々だった。
「…ならば、朔は?」
「朔という字はね、千くんに教えてもらったの」
「千寿郎に?」
「朔は新月と同じ意味なんだって。新たに始まる月。だから朔日を月の始まる日──"一日(ついたち)"とも表す」
蛍の瞳が、まるで赤いお月様のようだと例えられた千寿郎だからこそ。
学業にも精を出している千寿郎は、蛍よりも遥かに多くの言葉を知っていた。
「朔は、"はじまり"。だからこの名前を選んだの」
蛍の視線が、地面に綴った名から空を浮遊する土佐錦魚へと上がる。
「柚霧であった自分を初めて、ぜんぶ受け入れられた。自分の体に宿った異能を初めて、信じて認められた。人の私も、鬼の私も、ようやく同じものとしてここに立つことができたの」
そうして形造られたものが、あの金魚ならば。
「だから──〝朔ノ夜〟」
呼ぶように告げる。
蛍の視線をじっと見つめ返していた土佐錦魚が、ゆるりと尾鰭を揺らした。
優美に波を漂うように、蛍の下へとふわりと舞い下りる。
伸ばした蛍の手に、そっと寄せるように口の先で触れた。
大きな体には見合わない程の、繊細で優しい仕草。
それはまるで、その名が自分のものだと知っているかのように。