第28章 あたら夜《壱》
尋ねる杏寿郎の笑顔は、興味津々な子供のようなもの。
「なあ蛍──…蛍?」
しかしそれも一変すると、思わず二度名を呼んだ。
「何も聞こえません」
そこには両手で己の耳を塞いでそっぽを向く蛍がいたからだ。
そんな反応をされるような会話をしていただろうか。
「蛍? 何を」
「何も言ってません。空耳です」
「…いや、確かに俺は」
「何も言ってません空耳です」
「蛍」
「空耳」
「しっかり聞こえているな?」
「空耳ですッ」
「サク、と確かに」
「わあああっ」
「…成程」
あわあわと口を大きく広げて騒ぐ蛍の顔は、じんわりと赤い。
先程の甘酸っぱい照れ隠しとは違う。
盛大な羞恥を抱えている蛍の姿に、杏寿郎は己の顎に手をかけると深く頷いた。
すぅ、と息を吸う。
「して! 何故サクという名を付けたのだろうか!?」
「わあああー!! 大声やめて恥ずかしい!!」
「君も中々の声量だが!!」
「ごめん! ごめんて私が悪かったです! だからそれ以上は…! しーッ」
「む」
ようやく両耳を塞ぐ手が離れる。
口封じのようにぺたりと口元に両手を当てられて、杏寿郎は大人しく言葉を止めた。
案の定露わになった蛍の耳は、感情を表すかの如く真っ赤に染まっている。
「蛍」
いじらしくも見えるそんな姿を見てしまえば、そわりと心が騒ぐ。
構い倒したくなる衝動を抑えて、杏寿郎は口を押さえる手を握り返した。
「何をそんなに恥ずかしがることがある? あの影魚に名を付けただけだろう?」
「ぅ……た、偶々だよ…見た目が、生き物みたいだし…魚とか金魚って呼ぶのは、なんか可哀想かなって…」
土佐錦魚は蛍の血鬼術だ。
術に可哀想などという感情を向けるのは普通ならお門違いだが、土佐錦魚は自我を持つような行動をする。
本物の金魚のように振る舞うのだから、生きたものとして捉えても可笑しくはないだろう。
「いいんじゃないか? 鎹鴉のようなものだろう」
「うーん…ちょっと、違うかな…」
「む?」
「ほら。鬼殺隊の呼吸技にも名前があるでしょう? 一つ一つ。…それに似た感覚かも」
「ふむ」