第3章 浮世にふたり
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彩千代蛍という鬼を捕えてから、数ヶ月が経つ。
それでもまだ一、二度しか通ったことのない牢の道を、義勇は足音一つ立てず歩いていた。
初めて出会った時、鬼である蛍は燃えるような瞳をしていた。
それは彼女が口にした通りの、肉親を死へと追いやったこの世への"怒り"から。
自分の為ではなく誰が為に生んだ怒りは、義勇が今まで会ったどの鬼も見せたことがない瞳を持っていた。
怒りとはただの負の感情ではない。
時にそれは人を動かす原動力となり、生きる為の道筋ともなる。
しかしその鮮やかな光は一瞬だけで、蛍はすぐに生きることを諦めた。
これが人であれば叱咤していただろう。
現に炭治郎が禰󠄀豆子を殺さないで下さいと乞うてきた時、義勇は声を荒げ「生殺与奪の権を他人に握らせるな」と叱咤した。
厳しくあるのは、怒号を飛ばすのは、それだけ相手に期待するものがあるからだ。
故に炭治郎の決意に賭けて、義勇は兄妹二人を鬼殺剣士の育手である鱗滝 左近次(うろこだき さこんじ)に預けた。
しかし蛍は鬼だ。
罵倒したところで、彼女の生きる道はとうに潰えている。
それでも義勇は、その頸に刀を振れなかった。
蛍が他の鬼とは違う瞳をしていたからか。
自分の立場を捨てても姉の亡骸を想ったからか。
はっきりとした理由は義勇自身の中にも出てはいない。
それでも今日、炭治郎と禰󠄀豆子の話をした時、初めて蛍は"生"への渇望を見せた。
初めて他者に興味を持ち、生きることへ一歩前進した。
そこに僅かにだが確かに安堵したのだ。
明確な理由などないが、それでもよかった。
それだけで牢へと足を運んだ意味はある。
「なんだか嬉しそうですね? 冨岡さん」
ぴたりと義勇の足が止まる。
声は、牢へと続く暗い通路を出てすぐの所にあった。
「あの鬼と楽しいお話でもしてきたんですか?」
暗い通路の出入口の影から姿を現したのは、胡蝶しのぶ。
見惚れそうな微笑みを浮かべているが、そんな笑顔のしのぶに一番用心しないといけないことを義勇は知っていた。