第27章 わが情(こころ) 焼くもわれなり 愛(は)しきやし
息が浅くなる。
舌の根が乾いたかのように、は、は、と浅く息を零しながら、蛍は自然と膝立ちになっていた。
ぴちゃん、と最後の一滴が小瓶から滴り落ちる音さえも、鮮明に耳が拾う。
それを合図に、蛍は皿を覗き込むようにして顔を寄せた。
「まだだ」
しかし再び杏寿郎の声が制止をかける。
「俺の声が届いているなら、耳を澄ませ。音を拾え」
「…ぁ…」
「稀血に惑わされるな。血ではなく、人を見ろ」
これは稀血を与えられる為だけの時間ではない。
その稀血に対する訓練なのだ。
杏寿郎の静かながらも厳しい言葉に、蛍はふやける思考をどうにか引き締めた。
釘付けだった皿から、杏寿郎へと視線を変える。
「そうだ。俺の名は?」
「…煉獄、杏寿郎…」
「君の名は」
「彩千代…蛍」
「此処へは何しに来た」
「稀血、の…訓、練」
「今、己がすべきことはなんだ」
「耐え得る…こと」
「そうだ」
一つ一つ、投げかけては蛍の反応を見る。
朧気な目線を持ちつつ、蛍も絞り出すように小さな声を上げ続けた。
「では次は、稀血の匂いに集中」
「っ…」
「匂いだけだ。口を付けてはならない」
顔を近付けなくとも、既に小さな部屋の中は稀血の匂いで充満していた。
頭を強く揺さぶるような感覚は、実弥の稀血を思い起こさせる。
その中に酷く甘ったるい余韻も感じるのだ。
それは静子の稀血がもたらすものだろうか。
すぅ、と深く散布した匂いを吸い込む。
それだけで、馳走を感じた腹が震えた。
「ぅ…」
「匂いだけだ。耐えろ」
鋭い牙を持つ口が、僅かに開く。
血肉を求めて空腹を貪る体が、溢れる唾液をぽたりと畳に落とした。
「ぅ…く…」
唇を濡らし、顎を伝い、ぽたりぽたりと落ちていく。
己のその痴態にも関心はなく、蛍の視線は自然と稀血の器に再び注がれていた。
きりきりと縦に割れた眼孔が、尚も色鮮やかに染まる。
(…飲みたい。あれが欲しい)
じゅるりと、溢れる唾液を飲み込む。
それでも一向に舌の根は乾かず、寧ろ枯渇さが増した気がした。