第27章 わが情(こころ) 焼くもわれなり 愛(は)しきやし
鈴虫の歌声がより一層奏で上げられる秋の夜長。
夕食を終えた杏寿郎が、紬着物で蛍の前に立ったのはまだ遅くはない時間帯だった。
「待たせたか」
「ううん」
蛍もまた寝間着ではなく、瑠火から借りた矢絣(やがすり)模様の着物を身に付けている。
淡い鳥の子色(とりのこいろ)の生地に、撫子色の大きめの矢絣が刻まれた着物は、主張も抑えめで品がある。
瑠火らしい着物だと借りる際は少しばかり緊張もしたが、勧めた千寿郎はよく似合っていると褒めてくれた。
何故この時間帯に、そんな衣類を身に付けているのか。
理由は、宣言通り夕刻に戻ってきた杏寿郎の言葉だった。
『稀血の提供は、我が家ではなく別の場所で行う。此処には千寿郎や父上がいる。念の為だ』
大切な家族を鬼の牙から守る為となれば、納得はできる。
しかしそんなに自分は信用されないのかと多少落ち込みもした。
「人は襲わないよ」とだけ告げてみれば「ああそうだな」と当たり障りない返答を貰ってしまう。
時間をかけて頭を冷やしても、杏寿郎の違和感は消えない。
知っているようで知らない顔を覗いているような気分だ。
(だから杏寿郎も、時間をかけようとしているのかな)
二人きりは緊張するが、願ったりでもある。
きちんと向き合えば、自ずと自分がすべき答えも出てくるだろう。
「それでは出かけてくる。帰りは気にしなくていいから、千寿郎は家のことを頼んだ」
「はい。お気をつけて。姉上も」
「うん」
「乗りかかった船だァ。留守番ならしておいてやるから、お前らは要件済ませて来い」
「うむ。助かる」
「それじゃあ、いってきます」
千寿郎と実弥に見送られ、煉獄家を出る。
蛍の着物とは対照的に、黒に近い墨色(すみいろ)の着流しに濡羽色(ぬればいろ)の羽織の杏寿郎は、夜の空気に溶け込むかのようだ。
(…よし、)
自分で自分に喝を入れる。
見失わないようにと、蛍は闇から覗く掌に自分の手を重ねた。
「手、握っていても、いい?」
普段なら、そんなことは訊かない。
反応を伺うように問いかければ、振り返った杏寿郎の眉尻が僅かに下がって見えた。
「ああ。離れないように」