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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第27章 わが情(こころ) 焼くもわれなり 愛(は)しきやし



「…私さ。杏寿郎の怒った顔って、あんまり見たことないの」


 影を作る羽織の中から、眩い世界を覗き見る。
 眩しくて目は細めるが、身を乗り出すことはできない。
 絶対に触れられない世界だ。


「喧嘩なら、したことあるよ。でも多分、どっちかが少し感情的になってるだけで、お互いにそれをぶつけ合ったことはない…と思う」


 じゃれ合いのような言い合いはあれど、真面目な衝突らしい衝突は、振り返っても余り覚えがない。

 考えれば当然のことかもしれない。
 杏寿郎の性格も然り。蛍も鬼としてでも望んだ相手だ。
 結び付き合った絆が、脆いものではないことはわかっていた。


「杏寿郎が、私の為に我慢してるって訳でもなくて。私が、杏寿郎の為に妥協してるって訳でもなくて。多分それが、お互いの空気感なんだと思う」


 感情がすれ違っても、すぐに元の道に重なり合う。
 手を繋ぎ合い、心を交え、互いを尊重することができる。
 それだけ何度も、共に壁にぶつかり乗り越え歩んできたのだから。


「でも、さっきの杏寿郎は…なんだか、知らない人みたいだった。声も姿も杏寿郎のままなのに、向けられた視線とか、感じる空気とか…冷たい、感じ」

「……」

「それだけ杏寿郎を怒らせちゃったのかな……そうだよね…他の人の血がいいだなんて言ったら、良い気はしないよね…」


 段々と落ちていく蛍の視線が、やがて膝の中に埋まる。
 音もなく溜息を零すと、実弥は中庭を見たまま口を開いた。


「お前が煉獄に向けた思いは可笑しくねェよ。そいつだけに寄り掛からず立とうとすんのは、それだけ大事だからだろォ」

「……うん」

「だがアイツの思いも間違ってるとは言えねェけどなァ」

「……なんで?」

「なんでって、そりゃァ」


 己の頸に手をかけて、答えあぐねるように頭を回す。
 やがてはぽつりと、実弥の口から零れ落ちた。


「好いた女が他の男の良いように扱われたら、冷静でいられなくなるだろうよ」


 実弥へと顔を起こした蛍が、息を呑む。


(…そう、だ)


 驚きはしたが、声には出さなかった。

 蛍の記憶をテンジに奪われていたが、最期には返してくれたのだ。
 その空白を埋めた記憶の中に、杏寿郎と童磨が交わした言葉も残されていた。

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