第27章 わが情(こころ) 焼くもわれなり 愛(は)しきやし
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「ありがとね、要。また槇寿郎さんを見かけたら教えて」
こくりと頷いた要が、蛍の腕から飛び立つ。
最小限に風を立てて窓から出ていく姿を見送ると、蛍は肩の力を抜いた。
どうにか"約束"として押し付けたものを、槇寿郎に反発されずに済んだ。
それが安堵と喜びとなって余分な力を抜く。
「久しぶりに、聞きました」
「ん?」
「父上が、僕の名前を呼んだ声。あんな…他愛のない会話のようなもので」
いつも呼ばれる時は、酒か食事か。必ず必要事項があった時だ。
膳を置いていくなどと、些細な報告をわざわざ槇寿郎がしてきたことはない。
思い出すように告げる千寿郎の顔は、ぼんやりと空(くう)を見上げていた。
杏寿郎とまではいかないが、そこには多少なりとも高揚が見て取れる。
嬉しかったのだろう。
少年の細やかな変化に、蛍の表情も緩む。
「私も。だからまた明日、見かけたら声をかけようと思う」
「父上に、ですか?」
「うん。挨拶くらいは、当たり前にしてくれるようになるまで」
「…凄いですね、姉上は…」
「え? そう?」
「僕は、父上のあの圧に、何も言えなくなることが多くて…」
「ああ、うん。怖いよね」
「…怖いん、ですか?」
「うん。とっても。頸、斬られそうになったし。体も焼かれたし」
「じ、じゃあなんで…」
「でも、嬉しいとも思うから。槇寿郎さんがぶっきらぼうにでも、私の声に反応してくれることが」
先程の台所でのやり取りを思い出すように、ふやりと蛍の目元も緩む。
「それに距離を取っていれば、急に頸を斬られることもないだろうし。安全対策はばっちり!」
「その時点で可笑しな話だろォがァ…」
斬首前提で同じ屋根の下で過ごすなど。
感覚がそもそも可笑しいと実弥がぼやくも、蛍の耳には届いていないようだ。
「明日は断られる前に、お酒のお摘みでも作って持っていこうかな」
「あ。それなら僕も一緒に作ります」
「本当? ありがとう千くん」
身を寄せ合い、槇寿郎の為にとあれこれ策を練る。
そんな蛍の姿は微笑ましくも、どうにも。
「むう…羨ましい!」
複雑な心持ちで、杏寿郎は威勢よく呻った。