第26章 鬼を狩るもの✔
「私の血と肉となることを望み、私に生きろと言いました。いつかは笑える日がくる。だから、自分の分まで生きろと」
震える腕で、ゆっくりと蛍が刀を押し返す。
その震えは全身に伝わるように、紡ぐ声を揺らがせた。
「私の中に、姉の命が流れ込んできました。私の一部となり、鬼から人へと引き戻してくれました。あの血の味も、肉の感触も、忘れたことは一度もありません。…きっと、一生忘れないものだと思います」
鮮やかな緋色の瞳が、尚光る。
じわりと滲む、薄い水の膜を這って。
「人を喰らう地獄は、もう、知っています。だから二度と、私は人を喰らわない」
甘く強い食への欲とは対象的に、体中の細胞が泣き叫ぶ。
搔きむしり、吐き散らかし、内臓ごと戻してしまいたくなる拒絶と嫌悪。
それでも一滴残らず、口に含んだ姉の命は飲み込んだ。
己の体の一部とし、抱えて生きていくことを選んだ。
「だから…刀を、退いて、下さい」
手のない肘をついて、上半身を持ち上げる。
あんなにも弱気だった蛍が、初めて"鬼"として槇寿郎に主張した。
「私は、死ねないんです。杏寿郎さんと、約束したから」
幾度か槇寿郎に告げていた「死なない」のではなく「死ねない」と言う。
「人として、生きていくって。未来を、望もうって、誓ったから」
「ッとんだ絵空事を…」
「私が死んだら、杏寿郎さんの胸に、また穴を空けてしまいます。瑠火さんを失った時に、一度空いた穴を」
「ッ…!」
「だから死ねない」
瑠火のことを知ったように語るなと、いつもなら激昂した。
それができなかったのは、空洞となった心を杏寿郎が抱えていると言われたからだ。
瑠火を失った哀しみ、辛さ、苦しみ。
それらは全て自分が痛い程に日々感じていることだ。
言葉にするのは簡単だが、実際のところなど他人にわかる訳がない。
自分にとっての、最愛のひとだったのだから。
床に伏せるようになり、息子達とまともな会話さえしなくなった。
そんな自分を常に気にかけ、明るく歩み寄っていたのは杏寿郎だ。
その杏寿郎が、胸に穴を空けて生きているなど。
考えたこともなかった。
(…俺、は…)
考えたこともなかったのだ。
息子達にとっても、また最愛の母親であったというのに。