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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第26章 鬼を狩るもの✓



 日輪刀を構える姿は、凡そ所有者の杏寿郎とは程遠い。
 息を乱し、瞳は怯え、伏せた体は起き上がる気配もない。
 それでも槇寿郎の一撃を防ぐことができたのは、鬼特有の力を持つ故だ。

 見た目は細い腕でも、大の男の腕力にも勝る。
 日々鍛錬を積んできた者の境界線を、易々と越えてしまうのだ。


「ふざけた力だな…!」

「ぅ…ッ」


 不条理さに、みしりと槇寿郎の額に血管が浮く。
 上から押さえ付けられるように、ぎりぎりと刃が蛍の顔に迫った。


「っゃ…やめて、下さい…ッ」


 それでもどうにか片手で杏寿郎の刀を構えたまま、蛍は声を絞り出した。


「私、は…人に、牙は向けません…!」

「そんな証拠がどこにある。今まで一度だって人間に牙を向けたことはないと言い切れるか!」

「っ…」


 問わずとも、杏寿郎に同じ問いを投げかけた為に知っていた。
 無理な話なのだ。
 どんなに人に歩み寄ろうとも、鬼の本能から逃れることはできない。


「わ…私、は」


 知っていた。
 鬼の本性など。
 今更どんな綺麗事を告げられようが、揺らぐ気もなかった。


「姉を、喰らいました」

「ッ──!?」


 だから反応が遅れたのか。
 蛍の口から告げられた予想もつかなかった過去に、槇寿郎に動揺が走る。


「姉を喰らって、悪鬼となる手前で、留まることができたんです」

「…姉を喰った鬼というのは…お前だったのか…」


 初めて共に晩酌を交わした夜。蛍は、姉のことを槇寿郎に語った。
 最後には鬼に喰われたが、心と体を死に追いやったのは人間の男達だと。


「私の血と肉となることを望み、私に生きろと言いました。いつかは笑える日がくる。だから、自分の分まで生きろと」


 震える腕で、ゆっくりと蛍が刀を押し返す。
 その震えは全身に伝わるように、紡ぐ声を揺らがせた。


「私の中に、姉の命が流れ込んできました。私の一部となり、鬼から人へと引き戻してくれました。あの血の味も、肉の感触も、忘れたことは一度もありません。…きっと、一生忘れないものだと思います」


 鮮やかな緋色の瞳が、尚光る。
 じわりと滲む、薄い水の膜を這って。


「人を喰らう地獄は、もう、知っています。だから二度と、私は人を喰らわない」

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