第26章 鬼を狩るもの✓
「慕っていた」
そう過去の言葉で告げる八重美に、杏寿郎は閉じたままの口をようやく開いた。
「…ありがとうございます。蛍は俺の何に代えても、守っていきます」
それ以上の言葉も、それ以下の言葉も告げられない。
頭を下げる杏寿郎に、八重美が緊張を解くような息を零す。
「突然、すみませんでした。これは私の我儘ですが、どうか今まで通り接して頂けると嬉しいです。蛍さんも…蛍さん?」
「っ…ぅ」
「ほ、蛍さん?」
「どうした蛍。まさか怪我が悪化したのか…っ?」
「がう…違う。大丈、夫」
異変を感じ取った二人の視線が集中する。
熱くなる目頭を腕で押さえつけて、蛍は弱々しく頸を横に振った。
「杏、寿郎…狡いなぁ、って」
「…ずるい?」
震える声から続いた言葉は予想外で、金輪がぽかんと更に丸くなる。
「千くん、も。八重美さん、も。村の人達、も。杏寿郎の周りにいる人は、素敵な人ばかりで…狡い」
「…それは、否定できないが…俺だけじゃないぞ」
「?」
「蛍もだろう? 千寿郎は君の義弟だ。八重美さんだって、今後我らに助力してくれる御方となる」
押し当てていた腕を退けば、柔く微笑む杏寿郎がいる。
「俺だけじゃない。君の周りで生きている人々だ」
「…私の…」
「そうだ。君の世界の人々だ」
「……」
風が吹いたように感じた。
自分は鬼で、杏寿郎は人間で。
うんざりする程に、何度も自覚してきた立場だ。
しかし今ここに、その垣根は存在しなかった。
(私の、世界)
姉上と慕ってくれる千寿郎も。
杏寿郎様を支えて下さいと頼み込んだ八重美も。
全ては、杏寿郎と共に在るこの世界で自分に向けられたものだ。
切望してきた、杏寿郎の世界に今自分は立っているのだと。
「……八重美さん」
「はい」
「あの…身勝手ですが、こちらこそ…よろしくお願いしてもらえますか…」
鬼だけど、などという言葉は不毛に思えた。
それでも同じ相手を慕った身。
恐る恐ると頭を下げる蛍に、八重美は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ええ。勿論です」