第26章 鬼を狩るもの✓
「…手首、」
「ん?」
「私の、耳元に…持ってこれる?」
「それはできるが…」
「杏寿郎の、鼓動を、聞いていたい。そしたら…落ち着く、から」
「……」
弱い声で告げる蛍に、無言で背を支えていた手を上げる。
腕で蛍の背を抱いたまま、手首を蛍の耳に寄せた。
ぴたりと触れなくても、鬼の耳には届く。
至近距離で伝わる、微かな鼓動の音。
──トクン、トクン、
一定の感覚で刻む命の音に耳を澄ます。
目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出して。
鼓動に合わせるように、ゆるやかに己の呼吸を整えた。
脳内で命じる訳でもない。
ただ漠然と感じる、己の体に在るもの。
童磨の瞳と似ているようで違う、あの煌めく鱗を思い出して。
「──…」
ふ、と蛍の全身から力が抜けた。
──ドプンッ
「「!」」
途端に杏寿郎と実弥の体が、影波へと沈む。
底なし沼のように体を飲み込んでいくが、纏わり付くような嫌な感覚はない。
体が全て飲み込まれても、呼吸も視界も良好だった。
このまま落下していけば、理屈では駒澤村の上空に放り出されるだろう。
それを覚悟して、杏寿郎は日輪刀を強く握った。
足場が不意に軽くなる。
と同時に、一気に視界に外の世界が映り込んだ。
小さな家並み。
ぽつぽつと灯りが点いた道。
ふわりと目の前を横切る薄いシャボン玉。
(! これは蛍の──)
音もなく崩壊していく影波は、幾つものシャボン玉に姿を変えてゆっくりと降下していた。
ふわりふわりと落ちていく。
下に住まう人々に、悟られぬように。傷付けぬように。
数多のシャボンの雨が、音もなく懐かしい景色に舞い落ちていく。
なんとも言えない、奇妙で幻想的な光景だった。
その光景に目を奪われるも、余韻に浸る暇もなく杏寿郎の体に重力が叩き込まれる。
がくんと支えを失った体が、急降下した。
「ッ…!」
深く息を吸い込んだ杏寿郎の肺の中で、炎が滾る。
蛍の体を胸に押し付けるように強く抱きしめると、なけなしの力を込めて赤い刃を振るった。
──ゴゥッ!!
夜のシャボンの空に、鮮やかな火柱が舞い上がった。