第26章 鬼を狩るもの✔
杏寿郎の目が見開く。
聞き間違いではない。
確かに、彼女は返事をした。
「柚霧…ッ? 俺がわかるのか…!?」
「っ…はい」
蛍ではなく、柚霧として。
「何故──」
柚霧が。
そう口にする前に、よく回る頭は直感した。
テンジは人の名前の記憶を奪う。
彼女が奪われたのは〝蛍〟という名前だ。
そこに関する記憶が奪われているのならば、〝柚霧〟の記憶は残っているということなのか。
(だが蛍は二重人格などではない。花街の夜に抱いたのは柚霧だったが、蛍であることにも変わりはなかったはずだ)
蛍の心を守る為に、仮面として付けていたもう一つの名──それが柚霧だ。
別人格などではないのだから、そもそも記憶が分かれることなど可能なのか。
疑問は湧いたが、湧いたうちから消え去った。
鬼血術は人智を超えた力だ。
そこに道理を求めたところで答えなど見つかりはしない。
それよりも確かなものが今、杏寿郎の目の前にある。
「忘れません。初めて、その名を呼ばれて嬉しいと思えた御方です。…初めて、柚霧(わたし)が欲しいと思えた御方です」
残された片手を胸に当てて。それを口にするのが幸福で堪らないと言うように、柚霧は微笑んだ。
「柚霧は、ずっと杏寿郎さんをお慕い申し上げております」
片腕と片足を失い、血に染まる瞳と鋭い牙を持っていても。杏寿郎には、ただ一人の人間に見えた。
貴方の"ここ"にいたいのだと、細く途切れそうな声で囁いた、金魚のような。あの。
「柚霧…っ」
目頭が熱くなる。
感情が想いのままに溢れそうになるのを、ぐっと唇を噛み締め耐えた。
足が地を踏む。
手を伸ばす。
柔く微笑むその存在を、確かなものだと実感したくて。
「だめ」
もぞりと、柚霧の肩にしがみ付く影が蠢(うごめ)く。
杏寿郎を射貫くように見開いた目は、拒絶の意を示していた。