第26章 鬼を狩るもの✔
そうだ。痛みは然程感じなかった。
一瞬で肉を断ち切り喰い千切った炎虎は、目にも止まらぬ鮮やかさで事を終えたのだ。
あの時も。
(あの、とき…?)
振り返れど、過去を思い出せはしない。
あんな炎のような風貌の男のことも、知らない。
けれど覚えがある。
身体が、細胞が、記憶し続けている。
(…知って、る)
あの刃の味を。
必要以上の痛みを与えず、相手の命を狩り取るもの。
それは澄み渡る青空のように濁りのない刃だった。
相手への憎しみから生み出されるものではない。
鬼の肉体から人の命を切り離す為に、振り下ろされているものだ。
「…っ」
知っている。
覚えがある。
だから怖くなかったのだ。
真正面から、あの巨大な炎虎の双眸を見た時も。
「…ぁ…」
ふわり、と。
胸の内側に落ちた何かが、咲くように。
意味もなく、口は紡いだ。
「きょ…ぅ…じゅ…」
背を向けていた杏寿郎の足が、ぴたりと止まる。
か細く途切れる、ぎこちない声。
それでも確かに聴こえたのだ。
「ほ──…ッ」
振り返り、応えようとした。
だが朧気にこちらを見てくる蛍の表情は、何も変わってはいない。
ただ一つだけ。
何かを求めるように見上げてくる緋色の瞳は、先程とは違った。
縦に割れた瞳孔の奥底。
そこは鮮やかな緋の色も届かない、深い深い闇がある。
人の欲も、醜さも、悪意成るもの全てを、知っている。
その混沌の中に身を置きながら、鮮やかに泳ぎ続けていた。
奥底が見えない、どこまでも吸い込まれるような瞳。
それには見覚えがあった。
「…柚霧…?」
花街の片隅で見つけた、魅入ってしまう程に艶やかで切なげな金魚の瞳だ。
「──っ」
杏寿郎の呼びかけに、闇を溶け込ませた瞳が見開く。
震える唇を、そう、と開いて。
「杏…寿郎、さん」
今度こそ、はっきりとその名を紡いだ。