第25章 灰色万華鏡✔
本来なら、いの一番に千寿郎の安全を確保していたはずだ。
それなのに後先考えずに刃を振るってしまった。
あの膨張した鬼の細胞がもし硝子を突き破り、表に出てきていたら。
千寿郎に牙を剥いていたら。
「…すまない…」
苦虫を噛み潰すような顔で告げる杏寿郎に、千寿郎の口が開く。
小さな足が、実弥の前に踏み出した。
「っ…いいえ。謝らないでください」
頸を横に振り一心に兄の姿を見つめる千寿郎は、許しで告げた訳ではなかった。
「俺にも何が起こっているのかわからないけど。でも、兄上のことならわかります」
そこまで思い詰める程の何かを抱えた兄を見た記憶は、過去に遡ってもない。
実際はあったかもしれないが、弟の前では決して見せなかった姿だ。
周りが見えなくなるだけの思いを、それだけの意思を、兄が誰かに抱いたのだとしたら。
「今の兄上は、俺のよく知る兄上です。術で惑わされている訳じゃないと、思います」
「千寿郎…」
「兄上がそこまで思える誰かがいるのなら、俺も会いたい。会って、知りたいです。どんな人なのか。…それが鬼であっても」
更に一歩。罅割れた硝子の横を通り過ぎ、小さな手が項垂れる杏寿郎の手に触れる。
「聞かせてください。今、見たもの、感じたものを。俺も一緒に捜します。俺も、会いたい」
見上げる幼い双眸は、輝きに満ちていた。
灯りのない暗い部屋でも、月の光だけで読み取れる程。
曇りなど一つもない千寿郎の眼に、杏寿郎が息を呑む。
強く結んだ唇が、微かに震えた。
「…協力、してくれるか…?」
「はいっ」
繋がる小さな手を、覆うようにして杏寿郎の手が上から握る。
「ありがとう。千寿郎」
「そんな、お礼は早いですよ。捜し人を見つけ出してからじゃないと」
「ああ。そうだな」
噛み締めるようにして告げる杏寿郎の頭が下がる。
次に顔を上げた時、そこにはもう暗い影など落ちてはいなかった。
回復の速さは、さながらと言おうか。
それとも信頼し合った兄弟だからこその結果か。
そこに口を挟む必要はないと、実弥は静かに目を細めて見つめた。
兄弟という名の絆の繋がりを。