第25章 灰色万華鏡✔
「はぁ…ッ」
辿り着いた部屋には人影などない。
見慣れたいつもの部屋だ。
(っ…何処だ?)
それでも不思議と、声は此処から聴こえたのだと直感できた。
室内の中心まで歩いて、備(つぶさ)に辺りを見渡す。
壁。棚。机。襖。障子。
何も変わったところはない。
ならば、集中。
「ふぅぅーー…」
深く、細く、息を吐く。
ぎりぎりまで肺の中の空気を外へと絞り出して、血管を細くする。
酸素を減らした身体は、感覚が研ぎ澄まされる。
生命を維持する為、必要なものを最小限の動作で掴み取れるように。
──ィイン
耳鳴りのような振動が、空気の揺れを伝える。
部屋の中心で瞳を閉じて、じっと杏寿郎は耳を澄ませた。
『…象牙…ねーに…銀の…』
「──!」
まただ。
今度は先程よりはっきりと聴こえた。
確かに空耳ではない。
歌声は此処からしているのだ。
(誰だ?)
『…月夜…うーみー…れーばー…』
何処かで聴いた覚えのある歌だ。
少し切なげで、でも最後には温かい音色で閉じていた。
あの歌は。
『…忘れーた…唄を…』
脳裏に過る、誰かが振り返る。
形はわからない。
だが其処にいる。
あの歌の終わりは、確か──
「…"思い出す"」
歌詞は自然と口をついて出た。
は、と目を見開く。
意図せず顔を向けていたのは、開かれた障子の向こう──中庭へと続く縁側だ。
(其処に、いるのか…?)
一歩、踏み出す。
形はわからない。
何も見えない。
けれども何かが、其処には在る。
『──いいよ、要らない』
脳裏の〝君〟が、そう告げる。
『形以上のものを、いっぱい贈って貰っているから』
形にはないものを、愛おしそうに口にして。
『杏寿郎の心があれば、それで十分』
しあわせそうに、笑った。
「……」
縁側に出る手前で足を止める。
自然と伸びた杏寿郎の手が──ふわり、と。
何かに、触れた気がした。