第25章 灰色万華鏡✔
以前はそうではなかったはずだ。
広い屋敷であれど、寂しさなど。
寧ろ心地良く穏やかな日々を送っていたはずなのに。
(心地良い…)
陽に干した布団に包まれるような。
幼子が母に感じる温もりのような。
そんな心地良さがあった。
あれはなんだっただろうか。
誰かに頭を、背を、優しく撫でられたような。
あれは。
(母上との昔の記憶か…?)
成人した身で、母を思い寂しさを感じるなど。
炎柱の名を持つ身として情けないと、細く小さな溜息が漏れる。
『──……かーなり…はー…』
風の音とも取れる程、それは微かなものだった。
(…今のは…)
足が止まる。
何かが、聴こえた気がした。
何処かで、聴いたことがあるような。
『…ろーの…まーに…まーしょー…』
「っ?」
振り返る。
人のいない長い廊下だけが続いている。
それでも確かに耳にした。
あれは、この屋敷にはいない者の声だ。
「煉獄? どうしたァ」
「……歌だ」
「うた?」
「あっ兄上っ?」
じっと、目に見えない何かを見据えるかのように。微動だにしない杏寿郎に、気付いた実弥と千寿郎が足を止める。
瞬間、杏寿郎は走り出していた。
「兄上どこへ!?」
「すまん千寿郎! 後で片付ける!」
襖の間を通る隙間風にも掻き消されてしまうような、微かな歌声だった。
一歩進み出た先にはもう、消えてしまうかのような。
(見失うな…!)
髪を陽光で燃やしてしまった時と同じ、焦燥感が杏寿郎を襲う。
見失う前に辿り着け。
消える前に掴み取れ。
今度こそは。
何処から聴こえてくるのか、正確なものはわからない。
それでも自然と足は一つの場所に向いていた。
以前、千寿郎と虫干しをした時に眠りこけてしまった、あの畳部屋だ。