第25章 灰色万華鏡✔
身体に異常はない。
それだけは許さなかったからだ。
けれどもぽっかりと胸の辺りに開けた穴に、息苦しい空気が次から次へと入り込んでくるようだった。
身体が汚いものへと汚染されて、変えられていく。
(馬鹿だな…私もあいつと同類なのに)
汚いもの、と感じたことすら馬鹿馬鹿しくて自嘲した。
元から自分が綺麗だなんて思ってもいないのに。
それでもあの家で、彼らと過ごしていると錯覚できた。
鬼であったことも女郎であったことも忘れて、ただの女になれた。
それを彼は、許してくれたから。
(…杏寿郎…)
帰りたい。
何もしてくれなくていい。
労いも慰めも励ましも要らない。
ただ傍にいることを許してくれたら。
月のような瞳を向けて、太陽のような笑顔を見せてくれたら。
何度だって笑うことができるのに。
「…かえる…」
俯く蛍の前で、テンジは告げられた言葉を繰り返していた。
「しんどい」という言葉はわからなかったが「帰りたい」という言葉はそれとなく理解できた。
遥か昔に、自分がそれを求めたように。
「…て」
「……」
「ほたる。て」
「…て?」
「んっ」
ゆっくりと蛍が顔を上げれば、目の前に小さな手が差し出される。
そのまま、手をと言っているのだろうか。
更にテンジへと目を向ければ、もう一度「て」と言われた。
よくはわからないが、とにかく手を求めているのだろう。
また別の遊びかとも思ったが、不思議と名前を取られる怖さは感じなかった。
誘われるように、片手を目線の高さに上げる。
触れた小さな手が、握り返してくる。
「いこ」
「…いこ?」
きゅっと、愛らしいばかりの力で握り締めて。
にっと、蛍を真似るように犬歯を見せて笑う。
「ほたる、おうち!」
──カシャンッ
瞬間、世界が回った。