第25章 灰色万華鏡✔
なんと言えばいいのか。
花や草木のような心安らぐ香りではない。
どちらかと言えば、腹のそこがざわざわと唸るような。
血生臭に、似た匂い。
「…ほたる…いたい?」
「え?」
「いたい、した?」
何故気付かなかったのだろうか。
笑う顔も、呼びかける声も、つい先程まで見ていた蛍とは違っていたのに。
笑っているのに、目の色は沈んでいる。
明るいはずの声も、弾んではいない。
血は目に見えないけれど、身体が痛いと言っている。
「いたい、ね。こう」
「…?」
「いたいいたい、の。とんで、け」
蛍のように、頭には手が届かない。
同じように撫でることはできないから、代わりにと。伸ばした小さな手が、蛍を抱きしめたままぽんぽんとスカートの上から撫でた。
「とんでけ。する。いたい、なくなる」
「……」
「いたいいたい、の。とんでけ」
「…だい…じょう、ぶ。痛く、ないよ」
「いたい、ない?」
「うん。痛く、ない。体はどこも、怪我してないから」
「ほんと?」
「…うん」
ぽんぽんとあやすように撫で続ける小さな手の上に、蛍の手が重なる。
大丈夫と笑いながら、それでも蛍の目の色が沈んだままであることにテンジは頸を傾げた。
「いたい、ほんと、ない?」
「うん。ない……けど、」
力を失くしたように、蛍の体がその場に屈み込む。
先程雲の陰に隠れていたテンジのように背を丸めると、膝の上で腕を抱く。
「痛くないけど…ちょっと、しんどいなぁって」
何処を見ているかもわからない。
焦点の定まらない視線が、ただただ落ちる。
「しんど、い?」
「…ちょっと、疲れたなって」
鬼であるが故に、疲労などとは余り縁がない。
なのに大きな岩でも腹に抱えているような気がして、身体が重い。
重力に従うかのように、ゆるゆると下がる蛍の顔が腕の中へと落ちる。
伏せるようにして、体を丸めて縮めたまま。蛍はか細い声を漏らした。
「……帰りたい」
ただいまと、言える。
おかえりと迎えてくれる、あの場所へ。