第25章 灰色万華鏡✔
「やえのやえ。てんじ、おなか。ごっくん、した」
「…喰べちゃった、ってこと?」
「ん! やえのやえ、おいしい!」
「っそんな…」
断片的ではあるが、テンジは八重美の名前を喰ったという。
その姿に、蛍の脳裏を過ったのは京都で出会った華響という鬼だった。
あの鬼は、人の生気を餌として喰らっていた。
テンジもまた、人の記憶を己の糧として喰らっているのだとしたら。
(やっぱり、テンジは鬼なんだ)
そんな芸当ができる者が、人間であるはずがない。
(でも人の記憶が餌になるの? 華響の場合は直接的に人の生気を喰べてたから、餌になるのはわかるけど…)
それによって人間を死へと追いやっていた。
しかしテンジの能力はどうだろうか。
八重美は確かに抜け殻のようになってしまったが、会話ができない訳ではない。
廃人にはなっておらず、意志疎通はテンジよりも可能だ。
何より、名を奪われたことで死へと追いやられているようには見えない。
此処はテンジの世界だ。
それ故なのか、蛍の体に負った傷は一つ残らず消えていた。
八重美もまた、数日前から捕らえられていたはずなのに空腹や眠気に苛まれている様子はない。
まるでこの世界の中だけが時を止めているような気さえする。
一見すれば奇跡のようなものだ。
ただ一つ。
人間を蝕む為の世界ではなくとも、なんだか寂しさを残すだけの世界のようにも感じた。
「ねぇ、テンジ。テンジはいつも、どんなご飯を食べてるの?」
「ごはん?」
「うん。お米とか、お肉とか、お野菜とか。テンジの好きな食べ物ってなぁに?」
「ん…」
本当に少年は鬼なのだろうか。
だとしたら口にできるものは、人の血肉だけだ。
「んー…ほたる!」
「…私?」
「ん! ほたる、すきー」
「うーん…それはありがたいけど…訊きたいことはそうじゃないんだけどなぁ…」
「?」
「難しかったかな」
「ほたる、てんじ、おはなし。くれる。すき」
「お話くれる…? あ、お話してくれるってこと?」
「ん! ほたる、にげない! すき!」
(逃げないというか、逃げられないだけなんだけどな…)