第25章 灰色万華鏡✔
「それより八重美さんは?」
「?」
「私と一緒にいた女の子。三つ編みをした、向日葵色のワンピースの」
「やえ! あそこー」
辛抱強く、丁寧に。言葉を紡げば、それなりにテンジも理解を示してくれることがわかった。
少年の指差す先を目で追えば、ふわりと浮く雲が一つ。その上に座る人影が見えた。
一心に空の地上を見上げていた蛍とは違い、俯き微動だにしない姿は抜け殻のようだ。
(やっぱり普段の八重美さんじゃないんだ…)
与助との願い下げな再会を果たした後、折を見て八重美に何度も声をかけてみたが十分な反応は貰えなかった。
物は試しにと、八重美が気になるような名前や単語を幾つか上げてみたが、それでも目の暗さは変わらない。
杏寿郎の名前も、腹を括って何度も伝えたと言うのに。
テンジから逃げろと必死に急かしてくれた彼女の姿は、奇跡のようなものだったのか。
八重美の性格など知らないが、こんな異様な世界にいて騒ぎ立てないことがそもそも異常なのだ。
与助の言う通り、名前を取られて本当に人が変わってしまったのだろうか。
そんな状態の八重美を静子の下へと連れ帰っても、果たして解決と言えるのだろうか。
「…ねぇ、君」
「てんじ!」
「テンジ」
「んっ」
「テンジが、取ったんでしょう? 八重美さんの名前。それ、返してあげることはできない?」
「かえす?」
「八重美さんから流れてきた記憶を、元あった所に戻すの」
屈み込んで膝を抱く。
幼いテンジに視線を近付けるようにして、蛍はなるべく丁寧に頼み込んだ。
テンジは与助とは違う。
蛍を何度も遊びに誘うのも、ただ楽しいことをしたいからだ。
そこに悪意も他意もない。
証拠に、遊びを断り続けても子供のように拗ねるだけで力任せなことはしてこなかった。
頼み込めば、言うことを聞いてくれるかもしれない。
名を奪い取れるなら、返すこともできるはず。
「かえす。わからない」
「ええとね、返すっていうのは…」
「だめー。できない」
「できないの?」
「んー」
方法がわからないのか、はたまた術が一方通行のものなのか。
わからないが、答えは絶望的だった。