第25章 灰色万華鏡✔
「お前…」
「?…ぁぁ、」
呆然と呼びかける実弥に、ようやく気付いたのか。手の甲で目元を拭うと、ゆっくりと杏寿郎は立ち上がった。
「すまない…取り乱した」
顔を上げ、実弥と目線を合わせる。
そこにはいつもの炎の同胞が立っていた。
拭い去れば涙の痕跡は一つもない。
先程の光景は幻だったのでは、と思える程に違和感のない顔立ちだ。
「父上も、騒ぎ立ててすみませんでした。俺の所為で…"これ"も…」
風に吹かれ、和紙の燃えかすが宙を舞う。
焦げた掌に残されたのは、小さな簪一つだけ。
しかし槇寿郎の目はそこへは向いていなかった。
驚きの眼差しで見ていたのは、息子である杏寿郎だ。
息子の涙など一体何年ぶりに見ただろうか。
母の葬式でさえ涙を見せなかったというのに。
泣き続ける千寿郎をあやし、顔を上げたまま真っ直ぐに前を向いていたというのに。
──否。
泣かなかったのではない。
あれは泣けなかったのだ。
絶望の淵に立ち、周りが見えなくなっていた父と。
死の意味さえ理解できずに、泣き続ける弟を見て。
己という個ではなく、煉獄家そのものを守ることを選び、優先させたのだ。
(…その杏寿郎が…)
泣いたのだ。
今見せた一滴の涙が、どれ程重要なものか。
何も訊かず、何も言わずとも、槇寿郎は理解していた。
意識していなくとも、心の奥底には宿り続けている。
世間体や家柄や、立場や理性などは全て意味を成さない。
剥き出しの感情で、杏寿郎が求め続けているものだ。
「……もういい」
「父上?」
「必要としていたのは髪だけだ。それが消えた以上、残されたものに価値はない。お前の好きにしろ」
「! では、この簪を頂いても…?」
理屈ではない。
千寿郎の日輪刀が光らなかったように。
槇寿郎が最愛の人を守れなかったように。
杏寿郎もまた、理屈抜きで今その地を踏みしめている。
ただ一つの、揺るぎない想いを抱えて。
「言っただろう。好きにするといい」
それは誰であろうとも、変えることはできない。