第25章 灰色万華鏡✔
「は、離してください…!」
「待って下さいっ私は怪しい者じゃありません! 多分!」
いきなり雲の上から落ちてくれば、怪しく思えても仕方ない。
しかし雲の中に潜んでいること自体も、よくよく考えれば怪しいものだ。
それでも恐怖しか感じないその声に、蛍はなるべく怖がらせまいと声色を緩めた。
「気付いたらこの世界に来ていて…っ此処はなんなんですか?」
「っ…」
「貴女は知っているんですか? だったら教えて下さいっ」
声と腕の細さからして、相手は女性だ。
痛みを感じさせないようにと握る力を加減しながら、それでも蛍はその腕を絶対に離すまいとした。
「何故か空には地面があって、地面には空があって…上手く、言えないけど。見知った建物も空に浮かんでいるんです。ええと…っ」
懸命に己が見たものを伝えようとするが、上手く説明ができない。
「貴女は見ましたかっ? 外の世界…外っていうのは、この雲の外の世界のことなんですけど…あ、これ雲ですか?」
「……」
「…え、と」
自分でも随分と間抜けな質問をしている自覚はあるが、右も左もわからない世界なのだ。
阿呆の子のようになってしまっても仕方がない。
と、己に言い聞かせた。
「私は、彩千代蛍といいます。駒澤村に滞在していた女です」
不信感を拭うには、正直でいることが一番だ。
まずは己からと名乗り出せば、ぴくりと掴んだ腕が反応を示した。
名前か。場所か。
その他の何かか。
「差し支えなければ、貴女の名前を訊いてもいいですか…?」
霧状の中でも、すぐ目の前にいれば相手の表情を伺うことはできる。
ゆっくり、一歩踏み出す。
距離を縮める蛍に、強張る目の前の女性は表情を引き攣らせた。
「わ…私、は…」
自信のなさそうな口元も、形の良い眉が下がる様も、視界に捉えることができた。
大きな瞳に、小ぶりな鼻に、艶やかな黒髪。
見覚えがある、と蛍が錯覚すると同時に、彼女の装いが決定打だった。
見慣れない明るい黄色のワンピース。
爽やかな洋服は、過去一度しか見ていない。
「…八重美、さん…?」
あの、伊武家の一人娘にしか。