第24章 びゐどろの獣✔
周りには、杏寿郎以外の人影は見当たらなかった。
何故一人で此処へ、と千寿郎が問いかける前に、徐に杏寿郎から踏み出す。
足早に無言で歩み寄るも、蛍の前に来ると、その足は鉛のように重くなった。
「…蛍」
今一度名を呼ぶ。
きつく歪められた太眉の下にある双眸は、いつもの熱い炎を灯していない。
蛍の前まで来たはいいものの、その先を踏み出せないでいる。
険しい顔で拳を握る杏寿郎に、蛍は驚き丸めていた片目をゆっくりと瞬いた。
まさかこんな場所で出会ってしまうとは。
驚きで声を失っていたが、唇を結ぶと、こくんと喉を嚥下した。
「よふ、わかったね」
慎重に言葉を紡いだつもりだったが、それでも包帯の下の声はくぐもってしまう。
活舌の緩い口調に、蛍は困ったように笑った。
「みっともないところ見せひゃったなあ」
それでも一度呑み込んだ声は明るく流れた。
下手に空気を落とさないようにと、呑気に笑う。
「誤って料理中に足場を踏み間違えて、お天道様の下に出ちゃって。少し火傷しひゃったの。ごめん、不注意で」
「……」
「れも千ふんが手当てひてくれたから、もうほとんど痛くないよ。見た目ほど酷くは──」
「っ」
ぐ、と深く歯を食い縛った杏寿郎の拳が、蛍へと伸びる。
掌を開くと、有無言わさぬ力ではなく、壊れ物を扱うようにそっと触れた。
両手で掴んだのは、華奢な肩。
引き寄せることはなく、項垂れるように杏寿郎の頭が蛍の右肩に落ちる。
火傷を負った腕や顔には、一切触れないようにして。
「っすまない。帰るのが遅れた」
「そんな、ほと」
「凡そのことは察している。父上から直接聞いた」
ぴたりと蛍の唇が動きを止める。
「だから笑わなくていい。謝らなくていい。君は悪いことなどしていない」
きつく力が入りそうになる両手を理性で抑えても、肩に触れた指先は震えた。
「悪いことなど、何もしていないだろう」