第24章 びゐどろの獣✔
「父上が見ているのは、世間を脅かす悪鬼と呼ばれる者達です。蛍の何をも見ずに、悪鬼(それら)と同じに並べられることは納得できません」
「な、にを…ッ」
「まず、蛍は人を襲いません。千寿郎ならば尚のこと。傍で彼女を見ていれば自ずとわかることです」
淡々と感情の起伏なく告げられる声には厚みがあった。
真っ直ぐに見据える双眸と同じに、揺るぎない炎を灯すかのように。
「蛍は確かに鬼という存在故に、注意すべきこともあります。ただそれ以上に、俺は彼女から絶え間ない安らぎを貰っている。彼女の傍でこそ、俺は"ただのひと"でいられるんです。それは蛍にしか与えられないもので、そこにこそ俺の平穏はある。世の和平とは違う、個がもたらしてくれる尊いものです」
槇寿郎の問いかけに一つ一つ答えながら、杏寿郎は上から押し込むようにして重い拳を押さえ込んだ。
驚いたのは槇寿郎だ。
一度も歯向かってこなかったから知らなかった。
拳一つ、届かない程の強さを息子が持っていたことに。
「俺が彼女を選んだだけじゃない。彼女も俺を選んでくれた。俺と共に生きる道が、どんなに険しいものか知っていて尚、この手を握ってくれた。それを離したくないのです」
「っ…だがもう遅い! その鬼はこの世にはいないッ」
「そうでしょうか」
押さえ込んだ拳から、ゆっくりと手を離す。
槇寿郎が殴り返してこない様子を見て、杏寿郎は握り込んでいた拳を目の前に掲げた。
「この毛色は俺や父上、千寿郎のものではありません。不死川のものとも違う」
拳を開いた中には、僅かな髪の毛が握られていた。
金色や朱色には染まっていない。
実弥のような、色素の薄い髪でもない。
暗い色を宿す髪の主は、この屋敷内では一人だけだ。
「これは蛍の髪の毛でしょう。命を落としているのならば、此処に落ちているはずがない」
鬼の身体は、絶命すれば髪の毛一本残さず消えてしまうのだ。
そう槇寿郎自身も言い切っていた。
槇寿郎に殴られ台所の床に手をついた時、杏寿郎の観察眼が目敏く見つけ出したものだった。
たった数十本の髪の毛だ。
それでも今の杏寿郎には、それこそが希望の光だった。