第24章 びゐどろの獣✔
二度と千寿郎の前に現れるなと言われたのに。
その千寿郎が目の前にいることが、可笑しなことなのだ。
蛍の問いかけに、千寿郎は答えなかった。
その沈黙が、全ての答えだ。
「そんな…勝手に家を出たりなんか、したら、槇寿郎さんに怒られるどころじゃ、ない…っ早く帰らないとっ」
「…僕の行動は、勝手、ですか…?」
「えっ…あ…ぃゃ…」
「ろくに話も聞かずに、自分の言いたいことだけ捲し立てたのは父上です。勝手なのはどっちですか」
地面を睨むように見つめたまま、小さな拳を握る。
初めて聞く千寿郎の怒りの声に、蛍は口を噤んだ。
「先に勝手なことをしたのは父上です。姉上の、僕の話を、一つだって聞かなかった。全部自分の物差しで決めつけて…勝手過ぎますっ」
震えるような声で深く息をつくと、千寿郎は恐る恐ると目の前の蛍を見上げた。
「そう、父上に真正面から言えたらいいのに…すみません。いつも、父上を前にすると何も言えなくて…」
そこにはもう先程までの怒りは見えない。
向けるべきその感情の矛先の者は、此処にはいない。
いつものように下がり眉で蛍を見つめたまま、千寿郎は落ち込むように肩を下げる。
「兄上の時も、そうでした。兄上はいつも僕の前に立って、父上から守ってくれたのに…父上が兄上を罵倒した時、僕はいつも何も言えなくて……そんな自分が不甲斐なくて…情けなくて」
結局、同じことを繰り返した。
蛍を守りたいのに、守り切れず。寧ろ蛍に父の前で体を張らせてしまった。
「ごめんなさい…姉上は、沢山痛い思いをしたのに…何もできなくて…」
大きな瞳の金輪が、ふるりと揺れる。
涙袋に透明な雫を溢れさせると、ぐしりと拳で拭い取った。
「姉上に、そこまでさせたのに…何もできないままは、嫌だったん、です…父上に、歯向かえなくても…ここで姉上を追いかけなかったら、絶対に後悔するって、思ったから」
「…千くん…」