第24章 びゐどろの獣✔
最初は杏寿郎だけを欲した。
彼さえ傍にいてくれれば何も要らないと思っていた。
蛍の世界を広げてくれたのは、他ならぬその杏寿郎だ。
気付けば、彼を育てたもの、取り囲む世界にも目を向けるようになって。気付けば、同じものを愛するようになった。
家族と呼べることに幸せを感じ、血のない繋がりを愛おしいと思うようになった。
杏寿郎だけでは駄目なのだ。
彼の愛する世界の中で、自分も生きていたいと願ってしまったから。
「ぅ…っ」
それも、もう望めない。
二度と杏寿郎と千寿郎の前に現れるなと言われてしまった。
杏寿郎は追いかけてくれるかもしれないが、千寿郎とはもう会えないかもしれない。
当然、槇寿郎と共に酒を酌み交わすことももうできない。
「ぅう…ッ」
不安はそれだけではない。
もし自分の所為で、杏寿郎達兄弟と、父である槇寿郎の間に修復不可能な亀裂が入ってしまったら。
煉獄家自体が崩壊してしまったら、彼らに合わせる顔がなくなる。
本当に姿を現すことはできなくなってしまうだろう。
大切だから。愛おしいから。
幸せであって欲しい。笑っていて欲しい。
槇寿郎や千寿郎の前で見せる杏寿郎の表情は、自分には引き出せないものだ。
彼らには彼らの築き上げた世界がある。
それを自分が壊してしまっていいはずがない。
「ふ…っ…杏…ッ」
小さな小さな泣き声だった。
途切れた声は形にもならず、ぽろぽろと零れる雫が流し去っていく。
蛍の泣き声を拾えた者は、誰一人いない。
「……」
一羽の鴉を除いて。
──バサッ
羽搏きが空気を揺らす。
蛍のざんばらに切られた髪を揺らして、その場から黒い影が飛び立つ。
「…政宗…?」
弱い声は、鴉を引き止めるには不十分だった。
橋の上でゆっくりと一度旋回すると、声無き出立を語るように。政宗はその場から飛び去った。