第24章 びゐどろの獣✔
何日も風呂になど入っていなかった。
血と泥に塗れ過ぎた体を、熱い湯は洗い浚い流してくれるかのようだ。
ふー、と自然に気の抜けた吐息が零れる。
「いい湯だな」と今度は穏やかな声で語り掛けられた。
同じく隣で浴槽の壁に背を預け、天井を見上げる杏寿郎にも気の抜けた笑みが浮かんでいる。
微睡みそうになる中で、相槌の代わりに実弥の思考を掠めたのは、先程の話だ。
「……話したのかァ。アイツ」
「ん?」
ぽつりと落ちたのは、渦巻く影の海底で見た彼女の姿だった。
「ああ…話してくれた。柚霧という名を授かった経緯も、鬼と成った経緯も、その手で人を殺めた経緯も。全て」
柚霧という女の生きる世界を、断片的にだが目にした。
あの光景は、未だに実弥の脳裏に鮮明にこびり付いている。
簡単に忘れることなどできない。
生と死と、愛と憎悪と、希望と絶望と。
幾重にも重なり潰れ生まれ出た柚霧の心は、それ程までに強烈で、それ程までに実弥の体を突き破ったのだ。
そんな柚霧の一生を、説明しろと言われても簡単にできやしない。
果たしてどんな言葉で、心で、彼女は目の前の男に過去を紡いだのか。
「無理矢理訊いたって訳じゃなさそうだしなァ…アイツが話せたんなら、いいけどよ」
「……不死川は優しいな」
「は?」
「ありがとう。彼女のことを気にかけてくれて」
「ち…ッ」
蛍の影鬼の中は、鬼の腹の底のようだった。
おうおうと泣き声のようにも聞こえる影の渦巻きは、触れるもの全てを拒絶するような姿だった。
その中心で血のように赤く濡れた瞳を持つ鬼は、何も知らない癖にと実弥に言ったのだ。
例え過去を覗いたとしても。
自分の何をも、知らない癖にと。
「違うわァ!」
その姿が脳裏にこびり付いていただけだ。
そんな蛍が、果たしてどんな顔で杏寿郎に過去の自分を語ったのか。
そこが気に掛かっただけで、他意などない。
なのに余りに杏寿郎が優しい笑みを浮かべるものだから、反射で怒鳴り返していた。