第24章 びゐどろの獣✔
触れ合える程傍にいないと気付かない。
ほんの微かに鼻孔をくすぐる血の匂いだ。
しのぶから偶に届く花のような香りでもないし、蜜璃がよく纏っていた甘味のような匂いでもない。
それでも、ついと顔を上げてしまう。
目で追ってしまう。
惹かれてしまう。
蛍だけが持つ、控えめで優しい甘さだ。
「成程、蛍が毎朝する理由がわかった。これは癖になる」
「ん、ちょ、杏じゅ」
「取って喰いはしない。千寿郎もいるしな。ただもう少し嗅がせてくれ」
「いや。それは。その。杏寿ろ」
「いいだろう? 減るものではないし」
「わかった、わかったから。ただそれ以上詰め寄られたら倒れる…っ」
ぐぐぐ、と蛍の背が反り曲がっていく。
首筋から胸元へと匂いを求めて顔を埋める杏寿郎に、半ば覆い被さられているのだ。
このままでは虫干しした着物の中に倒れ込んでしまうと、蛍はぺしぺしと背を柔く叩いた。
「いかん、つい夢中になった」
「折角千くんが綺麗に並べた着物だから、崩したら駄目だよ」
「そうだな」
はっと顔を上げた杏寿郎が姿勢を正す。
膝に両手をつき、畳に座し。それでもいつもより高い位置に結ばれた髪先がふわふわと揺れるものだから、蛍は思わず小さく吹き出した。
「な、なんだ?」
「ううん。千くんを思い出しただけ」
「?」
「そうだなぁ…もう少し隅っこに寄れば…よし」
「蛍?」
着物を重ならないように注意深く寄せ合うと、部屋の隅にスペースを作る。
壁に背を付けて座り直すと、己の膝をぽんぽんと叩いた。
「はい、こっちにどうぞ」
「…む…?」
「一休憩なら、杏寿郎も労ってあげないと。温かい陽だまりも千くんにとっての羽織の代わりになるものも、私は提供できないし。ということで、はい」
「それは…」
「私、実は好きなんだよね。杏寿郎のお膝借りるの。何度も借りてたけど、そういえば私が貸したことはなかったなぁって」
体調を崩してしまった時に借りることが常だったが、頭部を包む温かみと見守るような視線は、いつも言いようのない安心感をくれた。
照れ臭そうに頬を指先で掻きながら、思い出すように告げる。蛍のその提案に、杏寿郎は目を見開くように丸くした。