第24章 びゐどろの獣✔
おはようと告げる前に、杏寿郎の胸に擦り寄って深く息を吸う。
すっかり朝の日課となった蛍の甘えるような行為は、杏寿郎にとっても欠かせないものとなっていた。
「なんだ、嗅がないのか?」
「言い方。お日様を感じると言ってくださ」
「なら俺がしていいか」
「え。」
ほんのりと赤い顔を背けて告げる蛍の声が止まる。
ぐりん、と顔を元の位置に戻せば、邪気のない顔で爽やかに笑う杏寿郎が其処にいた。
「いつも受け身だからな。俺も感じてみたいと思っていた」
「え。いや」
「ということで失礼する」
「失礼ってちょっと待っ」
「騒ぐと千寿郎が起きるぞ?」
「っ」
正座したまま仰け反り身を退く蛍を、易々と捕まえる。
手首を掴んで、腰を抱いて。顔のすぐ下──着物の衿と肌との隙間に顔を埋めると、杏寿郎は深く息を吸い込んだ。
「……うん。蛍の匂いだ」
「ま…待って。それ、すごく恥ずかしい」
「何を今更。蛍もしていることだろう」
「するのとされるのとじゃ大きな差が…っ」
「俺は毎朝されているが?」
「う。」
笑顔でそんなことを言われてしまえば、返す言葉もない。
抗いを止めて大人しくなる蛍に、杏寿郎は満足そうに笑うと再び掛襟に顔を埋めた。
「っでも、私はお日様の匂いなんてしないよ?」
「そうだな……蛍は、夜の匂いがする」
「夜?」
「不意に踏み入る路地裏であったり、陰影であったり。そういう陽光を意図的に遮る場所は、何故だか肌がひやりと涼んだ。その場だけ空気を丸ごと取り変えたような…それに近い、匂いだ」
「う、うーん…よくわからない…」
「…前に夜の裏庭に出ただろう?」
「え?」
「蔵の傍で。共に月を見た」
「っあ。うん」
「あの時も心地良い夜だった。身体は火照っていたが、心地良い風と虫の音と月光に涼められていくような。そんな匂いだ」
「…それなら少しわかるかも…」
「それと血液だな」
「え」
「蛍からは、ほんのりと血が香る。定期的に摂取すべきものだから仕方ないと思うが──…不思議と甘いんだ」
「甘い、の?」
「ああ、ほんのりと。胸焼けするような甘さじゃない」