第3章 浮世にふたり
溢れる熱い涙で視界が霞んだ。
腹の底から咆哮を上げた。
口内には血の味しかしなかった。
動かなくなった冷たい体を掻き抱いて、嗚咽を漏らし続けた。
世界の終わりとはこういうものなんだと、自分には訪れなかったこれが"死"なんだと、ようやく悟った。
『喰ったのはお前か』
血の海となっていた血溜まりが、凝固し黒く淀(よど)んだ色へと変貌した頃──それは私の前に現れた。
薄い朝焼けの光が差す、扉の先の外の世界。
其処に男はひとり立っていた。
黒い西洋の服に、半柄の羽織。
腰に帯刀した、黒い長髪の男。
『お前が殺したのかと訊いている』
喰った? 殺した?
男からは底冷えするような殺気を感じたけれど、そこに恐怖は感じなかった。
姉さんを失った世界で迎える死に、恐怖なんてなかったからだ。
ただ一つ、その問いに生まれた感情は怒りにも似たものだった。
誰が、姉さんを殺したのか。
何が、姉さんの人生を喰ったのか。
そんなものひとつしかない。
『この…世界が…殺し、た』
この世は浮世。不条理な世界だ。
人の産まれ方も生き方も、皆平等じゃない。
この世に命を灯した時点で落差を付けられ、そこから這い上がる為には他人より辛い思いに耐えて努力しないといけない。
それでも姉さんは幸せになる為に努力して、生きようとしていた。
人として、生きようとしていただけなのに。
『大層な言い訳だな。…日は浅いようだが、そこまで自我が戻っているとは鬼化の進行が早い。分けられた血が多かったのか』
男が腰の鞘から刀を抜く。
向き合えば貫くような殺気に血の気が退いた。
私はこの男にきっと殺されるだろう。
漠然とだけど悟った未来は、恐らく現実だ。
『言え。お前を鬼にした者は、何処へ行った』
嗚呼、でも。
私が此処で死んでしまったら…姉さんの思いを捨ててしまうことになる。
姉さんが托したものを、潰してしまうことになる。
『答えろ』
それだけは、嫌だ。
『…こたえ…た、ら…生きら、れる…?』
『……』
男から返答はない。
だけどそれが答えだった。