第3章 浮世にふたり
視界と脳内が吹き出た血で塗り潰されるかのように、真っ赤に染まった。
つんざくような悲鳴と、更に濃く強くなる血の匂い。
気付けばこの手で、余すことなく男達の体を引き裂いていた。
手足を引き千切り、腸を引き摺り出し、目玉を抉り出して。
頭の中で声がする。
"殺せ"と命じてくるのは、自分の声か他者の声か。
何もわからないままに、憎悪を目の前の人間にぶち撒けた。
それでも声は止まらなかった。
殺せ殺せと罵ってくる。
それは脳味噌に直接槌を打ち付けられるかのような、酷い痛みを伴った。
全ての五感を遮られる程の苦痛。
自分が自分でなくなっていく感覚。
誰かに体を支配される恐怖。
助けを乞うことさえできない。
体から切り離されて、自分の魂だけが置き去りにされていくような。
何かに呑み込まれていくような。
『…蛍』
そんな断末魔の世界から引き戻してくれたのは、姉さんだったんだ。
『…ごめ…ね…』
周りの音は全て途切れ途切れにしか聞こえなかったのに、何故か姉さんの声だけは真っ直ぐに響いた。
『…辛い…おも…い…ばかり…させて…』
消え入りそうな儚い声を震わせて。
それでも一言残らず、私に届いた。
『…蛍は…生きて…命を……繋い、で…』
姉さん。
姉さん。
私の世界で一番大切なひと。
『生きて…いれば…いつか、きっと…また笑える…日が、くる…から』
咽返るような血の匂いと、真っ赤な血の海の中で。
腕に抱いた細い体から、色が消えていく。
『…貴女の…居場所、が…見つかる、から…』
居場所は此処だよ。
私の世界は、姉さんの傍にしかないのに。
『ぁ…ぅ……ぃ、ゃ…』
牙を噛み合わせた口から初めて、絞り出すような"声"が出た。
『いや、だ……ね…さん』
いやだ
いやだ
『ねぇ、さん』
いかないで
ひとりにしないで
世界でたったひとつだけなの
たったひとつだけ、守りたいものが貴女だから
姉さんだけが
『…ほたる…だい…すき……よ…』
わたしを 置いていかないで