第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
笑顔は向けているが、ぴしゃりと否定する蛍には有無を言わさない圧があった。
あの水色の市松模様のリボンは、実際は失くした訳ではないのだ。
未だに蛍の足首を縛る、鎖のような存在と化している。
そんなものを連想させるなど願い下げだとは言えなくとも、受けれられない。
緩やかにでもテンポよく進む二人の会話を耳にしながら、松風は口角の隅を片方だけ押し上げた。
「ああそれと、これも渡し忘れていたもんだ。旦那」
「まだ何か忘れていたか? 面目ないな」
今度は、差し出された茶封筒を受け取る。
僅かに指で押し広げ中身を確認した杏寿郎は、途端に封筒を松風に突き返した。
「これは頂けない」
「杏寿郎?」
「俺が昨夜、柚霧を買う為に使った金だろう」
「おや。見ただけでわかるのかい?」
「自分が使用した金ならわかる。これは支払うべきものだ」
「あたいはこんなに高額の銭を要求しちゃいないよ」
「身請け金には、これでは到底足りないかと」
「身請け金なら必要ないさね」
突き返された封筒を受け取ることなく、松風は肩を竦めて笑う。
「柚霧自身が身請けされてもいいって思えたなら、銭は要らないと言ったはずだ。旦那はすっかり、その子の心を攫っちまっただろう?」
「…む」
攫えるのならば攫いたい。
そう告げるかのような杏寿郎の双眸が、蛍へと向く。
二人のやり取りを流されるままに見ていた蛍は、おずおずと口を開いた。
「…松風さん」
「あんたをもう、柚霧とは呼べないかもしれないねぇ」
「そんなこと、ありません。私は松風さんに、柚霧って呼んでもらえるの…嫌じゃ、なかったから」
「へえ?…あんたも物好きなもんだね。あんな男達に貰った名前を捨てないなんて」
「それなら、松風さんだって」
「あたいは捨てたよ。その名で呼ぶのはあんただけさ」
あっさりと切り捨てる松風に、蛍の言葉が止まる。
「それでも、」と被った竹笠を僅かに上げて松風の目を、真正面から見つめた。
「私には、その名を呼ばせてくれました」