第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「他人に構う余裕がなかったから、素が出てしまったのかもしれません。よくわからない怒鳴り声にただ目を向けていたら、急に世界が転がりました」
肩が軋むように痛い。
殴られたのだと悟ったのは、床に手を着いて呼吸を三度繋いだ後だった。
『なんだァその目は。文句でもあるってのか!』
『っ…? 何を、言って…』
『言ってんだよお前の目が。いっつも自分は周りとは違うって目ェして、オレ達を睨んでるだろうがよ!』
何を当たり前のことを、と思った。
自分は違うのだ。
お前達のように、弱者を押さえ付けて食いものにするような下衆じゃない。
違って当然だ。
その心が、見上げた瞳にも出ていたのだろうか。
更に拳を振るわれた。
十分な食事を取っていない体は簡単に吹き飛んで、倒れ込んだ机の茶器を割ってしまった。
耳の付け根に鋭い切り傷を作ってしまったのは、割れた破片の所為だ。
「体は痛くて頭もぐらぐらして。何がなんだかよくわからなかったけれど、でも、目は逸らしませんでした。…多分、負けたくなかったのかもしれません」
「……」
「こんなものに屈したくないと、顔だけは上げていました。動けない程痛めつけてしまったら稼ぎ口も減るでしょうし。そこまで酷いことはされないと、私もわかっていましたから。やっぱり生意気でしたね」
声に抑揚はない。
淡々と語る柚霧には憤怒もなければ哀愁もない。
ただ過去にあった出来事を語るだけの声だった。
「それに、これも杏寿郎さんと同じように自分を貫いてできた傷なら…そう悪いものでもないなと、今、ふと思えたから。少し楽になりました」
布団に落ちていた視線が上がる。
見上げるように杏寿郎の顔を視界に誘い込むと、柚霧は眉尻を下げた。
「…ごめんなさい。そんな顔をさせたい訳じゃなかったんです」
見えたのは、眉間に深く皺を刻む杏寿郎の険しい表情(かお)。
「上手い言い回しが、思いつかなくて。こんな話しかできなくて、ごめんなさい」
「いいんだ、柚霧は何も悪くない。…だから謝らなくていいんだ」
握り締めていた指が解ける。
太い二つの腕は易々と柚霧の体を囲うと、感情のままに抱き締めた。