第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「他者の戯言だと軽く流して下さって構いません。でも、私には勲章なんです。ひとつひとつ」
緩やかな弧を描く口元が、微笑みを届ける。
愛おしい、という想いを音色に変えるように、柚霧は静かに噛み締めた。
「私とも、こうして向き合ってくれるから…踏み出すことができました」
どこまでも引っ張っていってくれるような、そんないつもの強さではなかった。
少しだけ身を退いて、それでも体は変わらずこちらを向き続けてくれていたのだ。
柚霧が応えられるようになるまで、と。
半歩ずつ互いに進むような足取りは、ぎこちなくも重なり合った。
だからこそ今ここに自分はいられるのだと、柚霧は繋いだ手を口元に寄せて握りしめた。
ようやく触れ合えた温もりを、もう離すまいと。
「…私の体にも、あるんです」
身を乗り出して、触れるだけの口付けを落とす。
「古傷」
握ったままの掌を導いたのは、左耳の付け根の下。
触れると確かに、少しだけ引っかかる。
そこには小さな小さな切り傷のような跡が残っていた。
「これは…?」
「私は、姉と違って生意気だったから。口答えはしなくても、目が煩いと怒られたことがあります」
「……」
「働き始めの頃。風邪の引き始めというか、なんだか寒気が止まらなくて、月房屋の客入れの時間をずらしたことがあるんです。夜起きて昼眠る、その急な生活の変化に体がついていかなかったんでしょう」
ぽつりぽつりと語る柚霧の言葉は、杏寿郎の求めた答えではなかった。
しかし静寂に落ちる雨音のような声から、耳が離せない。
「怒られました。自分の都合で時間を使うなと。その日与えられた数をこなしてから休めと、罵られました。熱の所為か、頭はよく回らなくて。だから目の前の男の罵声なんて一つも響かなかったんですけれど」
口を閉じる杏寿郎を前に、雨音は落ち続けた。
暗い瞳もそれを辿るかのように、煌びやか布団の縫い目に視線を落とす。