第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「杏寿郎さんは"心地良い"と仰いましたが、それは違います。これは"都合が良い"んです」
「都合が、良い?」
「私が返す言葉も、反応も、相槌も、杏寿郎さんが気持ちいいだろうと思うところに、返しているから。都合の良い相手だから、楽しく感じるんです」
「それは…」
「そういう仕事だからです。それが私です。…聞きたいですか? こんな話」
はらりと後れ毛を揺らして、頸を傾げる。
眉尻を下げたまま、柚霧は笑った。
「わかってもらおうなんて思っていません。わからない方がいいと思っています。幻滅、しませんか? 知らない方がよかったでしょう?」
「……」
「私は、今の私を見てもらえるだけで十分です。だからせめて、心地良い時間を作らせて貰いたいと」
「それは君の物差しだ」
空の湯呑みに茶を継ぎ足そうとした、白い手が止まる。
「俺の物差しは違う。君と過ごす時間に、心地良いものを作らないといけない義務などない。辛いことや苦しいことがあっても構わないんだ。君と共にいられるのなら」
触れようとして伸びた手を、止める。
膝の上で拳を握ると、杏寿郎はふと頬を緩めた。
「それに一つ勘違いをしているぞ。君といると、思うようにいかないことは沢山ある。己の感情でさえ上手く操れない。なのにその時間は俺にとって大層に心地良いものなんだ。都合が良くなくても、な」
急須を道具箱に戻すと、柚霧は力無く声を絞り出した。
「…それは…杏寿郎さんが、私を贔屓目に見ているから、です。本来なら…」
「本来、なんて要らない。俺は今目の前にいる、君だけが欲しいんだ」
「……」
「柚霧」
「…はい」
「触れても、いいだろうか?」
畳に伏せていた視線が、ゆらりと上がる。
一度、月のように光る双眸と重ね合わせると、柚霧は座ったまま座布団の上を半歩分進み出た。
「…杏寿郎さんの、お好きなように」
流れるように外される瞳は、こちらを見ていないというのに、まるで誘っているようにも見える。
杏寿郎の喉は、こくりと無意識に嚥下していた。