第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「っ…」
「むっ?」
唐突だった。
離れていたはずの温もりが、背中に当たる。
ぱちりと開眼すれば、腹部には細い腕が見えた。
背後から蛍が抱き付いている。
「…柚霧」
腹部に回された手に、そっと己の手を添える。
「君の顔を見てもいいだろうか」
「っ…だめ」
ようやく振り返られると、頸を曲げようとした。
背中に顔を押し付けた蛍が、くぐもる声でそれを拒否する。
「今見られたら、色んなものが噴き出してしまう気がする、から…」
「俺はそれで構わないのだが」
寧ろそれを望んでいるのだと告げても、頑なに蛍は頸を横に振り続けた。
「杏寿郎には、見せられても…こんな人通りの中で、そんなもの吐き出せない、よ」
「…そうか、ならば。姉君の塔婆を包んでいた布は、まだ持っているか?」
「え?…あっ東屋さんに返し忘れてた…っ」
「なに、明日また返せばいい。お松殿に渡しておく手もあるしな。それを貸してくれないか」
「これ?」
「うむ」
蛍の茶羽織の袖の中から取り出された、黒い風呂敷。
それを受け取ると、添えていた腹部の手を離した。
「この体制でいるのも好ましいが、このままでは事が進まない。離してくれるか?」
「う、うん…でも事って──…わっ」
「こうすれば君の顔は見えない。目は閉じているように」
「何、してっ」
蛍の顔を見ることなく、振り返った杏寿郎の手が同時に小さな両肩を掴みくるりと反転させる。
今度は蛍が背を向ける体制となったかと思えば、たちまち黒い布地に目元は覆われた。
きゅ、と後頭部で結ばれ簡易の目隠しをされてしまう。
「さて、戻るとしよう。お松殿に頼まなければならないこともあるしな!」
「頼むって何…っちょ、杏寿郎っ!?」
「すぐに着く! 声を上げると舌を噛んでしまうかもしれないぞ!」
視界を閉ざされたかと思えば、次に体がふわりと宙に浮いた。
憶えのある感覚は、すぐに杏寿郎に抱き上げられているのだと気付く。
そうと気付いた時には、既に遅し。
杏寿郎の体は、人混みの中を突風のように駆け抜けていた。