第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
仕事はまだ残っているとぶつくさ言いながら、足早に先を歩いて人混みに消えてしまった松風を話題にする。
顔が見えないお陰か否か、会話はすらすらと投げ合えた。
「人間の頃、此処で働いていたの。姉さんが病弱だったから、そのお薬代と生活費の為にとにかくがむしゃらに働いてた。だから周りのことなんてちゃんと見てなくて。お金になるか、ならないか。それだけ」
「しかし周りに合わせて良い顔をしていたと言っていただろう? 前に仕事の話をしてくれた時は」
「よく憶えてたね」
「蛍のことだからな」
その時、蛍は媚を売るような仕事をしていたと告げた。
姉と共に生きられるなら、なんだって利用したと。
「言ったでしょ。ここは欲の塊だから。その欲に応えていれば、お金はそれなりに手に入る。"そういう"意味で、周りを見ていただけ。表面だけ取り繕って、中身なんて覗かなかった。だから、見ていたけど視ていない」
それは、欲を抱いた男達だけではなかった。
松風のことも、東屋のことも、そして此処で働いていた菊葉という源氏名を持つ女郎のことさえも。
(視ていなかった)
こんな生き方しかできなかった自分を、杏寿郎に見て欲しくないと思っていた。
しかし元より見ていなかったのは自分自身だ。
「私ね、見ていなかったの。全然。此処で生きている人達のこと。家で待ってくれている姉さんだけが世界の中心で、そんな姉さんだけが綺麗なものだと決めつけてた。松風さんや、東屋さんだって…ずっとずっと、綺麗な人達だったのに」
飾り立てた上辺のものではない。
体の内にある、その人その人の心そのものだ。
「鬼になってから、そんなことに気付くなんて…ばかだなぁ私」
すらすらと続いていた会話の投球が止まる。
己を詰る声はか細く、少しだけ泣きそうな響きにも聞こえた。
思わず足が止まってしまう。
歩みを止めた杏寿郎の背に、とん、と触れたのは俯く蛍の額。
「私ね。此処で身売りをしていたの」
周りはざわめく、華やかな街通り。
なのにか細いその声は、杏寿郎の耳にするりと通り届いた。