第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「もう怪我は完治したんだな?」
「うん」
「…そうか。ならば問題はないな。しつこく訊いてすまない」
「ううん。心配してくれてありがとう」
些細な変化だが、僅かに緩まる杏寿郎の語尾に蛍も肩の力を抜いた。
(大丈夫。嘘は言ってない)
怪我は完治した。
怪我した場所は太腿ではなかったが。
斧へと変えた影鬼を己の足に振り下ろした瞬間、体は恐怖で旋律した。
もしかしたら死ぬかもしれない、という恐怖ではない。
純粋に痛みに向けた恐怖だった。
怖気付いた体は踏み切れず、途中で影鬼を解除してしまった。
故に半端に振り下ろした自分の爪で、足首を傷付けたのだ。
出血はしたが、持参した浴衣で全て拭える量だった。
既に鬼の体は再生を終えていて、怪我も残っていない。
「千くんも起こしてしまったのかな」
なのに何故か、気分が悪い。
「いや。起きていたのは俺と宇髄だけだ。千寿郎はとても心地良さそうに、ぐっすり眠っていた」
「そっか…よかった」
理由は薄々わかっていた。
たかが痛みだというのに。
童磨に縛り付けられたリボンをいつまでも身に付けておく方が、杏寿郎に後ろめたさを感じて悪影響だというのに。
それでも心は、痛みの方を怖がり逃げたのだ。
(全然、成長してない。臆病者め)
痛みを怖がることが、悪いことだとは思っていない。
事実、できれば痛みや苦しみから無縁でいたい、平和でいたいという本音は鬼殺隊に来た当初から蛍の中で変わっていない。
それでも時と場合がある。
あの時選ぶべきは、自分の身ではなく目の前で心配してくれている彼の方だったというのに。
杏寿郎の為にも、童磨との歪な結び付きは捨て去るべきだったのに。
(…それすらもできないなんて)
無意識に、拳を握り締めていた。
「それで、何故浴衣や羽織を持ってるんだ?」
「あ…うん。もしかしたら冷えるかなって…」
「部屋に戻るか?…蛍がまだ外の空気を吸いたいのであれば、俺もつき合おうか」
「……うん」
部屋に戻っても、眠れる気はしない。
足首をひんやりと冷やすこのリボンがある限り、頭の隅にこびり付いて離れないのだ。
『またね、蛍ちゃん』
童磨の顔が。