第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「──何処に行く?」
襖の引手へと手をかける。
す、と人一人分通れるところまで音もなく引いた時、囁くような声が耳元で響いた。
耳元で響いているが、声の主は傍にはいない。
視線を横に流した杏寿郎の目に、離れた窓枠に腰かけている天元の姿が映り込んだ。
「見張り交代時には戻る。問題ない」
「俺は何処に行く?って訊いてんだけど」
「……蛍を迎えに」
「過保護かよ」
天元の声は、的確に杏寿郎の耳にだけ届くように発せられていた。
己の声帯を自在に操る様は、音柱だからこそできる芸当だ。
千寿郎を起こさないようにとの配慮なのだろう。
即答で溜息を零す吐息まで、はっきりと杏寿郎の耳にだけ届く。
「厠に行ってるだけかもしんねぇだろ。その度に迎えに行くのか?」
「鬼は排泄をしない」
「じゃあお松に用事でもできたんだろ」
「皆が寝静まってからわざわざ赴く必要があるのか?」
「さぁな。あるから行くんだろ? ンなこといちいち疑問視し始めたらキリがねぇ。お前はなんだ、蛍専用の警察犬か?」
「……」
「あっおいコラ」
呆れた様子で大袈裟に肩を落とす天元に、杏寿郎の太い眉が潜まる。
と、その体はすいと廊下へと消えた。
咄嗟に天元が追えば、予想外にも杏寿郎は逃げ去ることなくその場に足を留めていた。
天元へと振り返ると、無言で襖を締め切る。
「万が一、千寿郎を起こさない為だ」
「その配慮を蛍にも向けてやったらどうよ」
「…俺は配慮がないか? 宇髄」
いつもの貫くような双眸は、天元へと向いてはいなかった。
静かに足元を見下ろし、自分の立ち位置を確認しているかのようにも見える。
「前に言ったな。蛍が君との実践稽古の爆撃で、体を半分失った時に。"強い言葉が必要な時もあれば、触れない方が良い時もある"と。…今もそうなのか」
足元へと落としていた視線が、天元へと向いた。
「近付かず、触れることなく、時に任せてしまえばいいのか。目を瞑って口を閉じていることが最善なのか。…俺にはわからない。君のような判断ができない時点で、俺は何一つ配慮できていないのだろうか」