第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「本当に、姉上が…天女の舞を…」
「ご…ごめん千くん。私じゃ役不足だって言ったんだけど」
「この短時間で、習っただけでそこまで踊れる子はうちにはいないんだ。仕方ないだろ」
「へえ。蛍、お前芸事も嗜(たしな)んでたのか。意外な趣味だな」
「いや、これは、瑠火さんの記憶を辿った羽衣を、影鬼に記憶させただけで…」
「かげおに? 何言ってんだい」
「いや、あの」
笑う天元に、慌てて説明を付け足す。
しかし蛍の言葉に理解の追い付かない松風が、眉を跳ね上げ凝視する。
上手い説明がないと蛍がまごつく中、千寿郎はじっとその姿を捉え続けていた。
「…っ」
その瞳から、更に大きな涙の粒がぽろりと零れ落ちる。
「お。」
「む。」
「せ、千くんっ」
無言でぽろぽろと再び泣き始めた千寿郎に、蛍はぎょっとした。
慌てて歩み寄り、どうしたものかとそわそわと触れられない手を伸ばす。
千寿郎の傍らに立つ二人の柱に目で助けを求めるものの、彼らは動かない。
「っ…ごめんね、本場の羽衣じゃなくて。でもあの、謡さん達の演技は本当に素晴らしいものだったし、本場と同じく」
「っ」
「らい──…えっ」
ぽすん、と。
小さな体が徐に飛び込んだのは、目の前の金箔能装束だった。
「せ、千くん…っごめん! 触れて、あのっ」
思わず受け止めてしまったが、勝手に触れてしまったとばかりに蛍の顔が青くなる。
慌てて両手を万歳の形で上げる蛍の胴に、千寿郎は細い両腕を回してぎゅっと抱き付いた。
「すっごく、きれいでした」
顔を埋めたまま、くぐもる声で少年が告げる。
「僕、今日観たもの、一生忘れません」
離すまいと力を込めて。
「絶対に」
声と体を震わせながら噛み締める。
千寿郎のその姿に、蛍も慌てふためく声を止めた。
おずおずと下ろした両腕で、小さな背を包み込む。
「ありがとうございます、姉上…」
「……うん」
ほんのりと温かい背を抱いて、蛍は自然と顔を綻ばせた。
「どう致しまして」
見守る柱達の優しい眼差しの中、少年と鬼。
ただ二人だけの世界で。