第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
よーぉ、と謡の声が木霊する。
ふわりと地に着くように両足を縦に揃えた天女が、音もなく鬘扇を閉じると深々と頭を下げた。
天女の舞納め。
千寿郎の手を離すと、杏寿郎が熱い拍手を送った。
「とても美しい舞だった! 天晴れだ!」
「蛍も粋なことをするじゃねぇか。なぁ、千坊」
「…はい」
同じく拍手を送る天元の言葉に、また涙の残る瞳で、千寿郎はすんと鼻を鳴らす。
芸事前よりも和らいだ彼らの空気に、襖の外で見守っていた松風も少しだけ口角を緩めた。
頭を上げた天女が、再び音もなく去ろうとする。
「待ってくれないか」
それを止めたのは、快活な声を抑えた杏寿郎だった。
「本当にとても綺麗だった。ぜひ、直接顔を見て礼が言いたい」
「それは聞けないね」
天女の顔として取り付けられている面。
それを外して欲しいと杏寿郎が頼めば、間髪入れず松風が部屋へと踏み込んでくる。
「芸者が去り切るまでが芸事だよ。途中で素顔を見せるなんざ、ご法度だ」
「そうなのか? だが俺も千寿郎も、この感動を胸に刻んだ今此処で、彼女に礼が言いたいんだ」
「それはもう十分伝わって──」
「まだ伝え切れていないと思うが。なぁ、千寿郎」
「で…でも、兄上。それはやはり失礼では…」
「お前だって蛍に直接伝えたいだろう?」
「え?」
杏寿郎の言っている意味が、すぐにはわからなった。
ただ涙を称えたままの大きな瞳が、驚きのまま天女を凝視する。
それは、つまり。
溜息と共にお手上げだとばかりに肩を落とす松風に、天元は驚く様子もなく笑って傍観を決め込んでいる。
幼い少年の強い視線を感じた天女は、俯き加減のまま微動だにしない。
「…姉上…?」
ぴくりと、ふっくらとした能面の頬が反応を示した。
一呼吸、沈黙を置いて。
もたもたと慣れない様子で能面の紐を外す。
恐る恐ると下げたその面の下から現れたのは、申し訳なさそうに視線を逸らす蛍だった。