第23章 もの思へば 沢の蛍も 我が身より✔
「それから、なんです。私も、まともにご飯が食べられなくなったのは」
笑っていた。
自虐のような、自分を詰(なじ)る笑顔ではない。
松風のよく知る、赤い着物に身を包み虚無に笑う顔でもない。
静かに、今ある現実を噛み締めるように。
蛍はほんの少しだけ口角を緩めて、困ったように笑った。
「匂いは嗅げるけど、味を感じると吐いてしまうんです。それを杏寿郎も皆も知っているから、誰も食事を勧めなかっただけです」
「…柚霧…あんた…」
「哀しくは、ないです。寂しさは、あるけど。それと引き換えに手にできたものも、今は知っているから」
「…っ」
「だから杏寿郎のことを悪くは思わないで下さい。私の些細な感情だって拾い上げてくれる、優しい男性(ひと)ですから」
口を開いては閉じて。否定を重ねようとして吐き出せず。
松風は細い眉をくっと眉間に寄せた。
「っ全く! 仕方がないね!」
これ見よがしに大きな溜息をつく。
「あんたも此処じゃあたいの客だ。客の要望には応えられるだけ応える。出すもん出してくれるってんなら、謡(うたい)に詳しい舞妓もいるからできなくはないよっ」
「本当ですか!?…あっでも私、持ち合わせが今なくて…」
「何言ってんだい、あるだろ」
「え?」
「うちに唄える子はいても、能楽に詳しい子はいない」
松風の手が蛍の頭を指差す。
「調べ上げた、あんたのその知識を寄越しな。それができなきゃ芸者は貸せないよ」
素っ気なくも協力の姿勢を見せる松風に、途端に蛍は弾けるように破顔した。
「ありがとうございます松風さん!」
「女将と呼びなと言ってるだろ!!」